相撲部屋
相撲部屋(すもうべや)は、大相撲の協会員が所属する団体。および、その団体が生活の拠点とする施設。
概要
[編集]江戸時代に起源をもつ大相撲は、指導者である年寄(親方)と、力士(弟子)との間で疑似的な大家族制を持っており、その"家族"の生活の場として、部屋が存在する。部屋では、相撲の稽古のみならず、年寄を中心とした共同生活を営んでいる。
そのため、現在でも日本相撲協会の年寄・力士・行司・呼出・床山は全員いずれかの相撲部屋に所属しており、所属していない者は本場所に出場できない。また、全ての部屋には年寄・力士がそれぞれ1人以上所属している必要がある。
相撲部屋の運営
[編集]名称
[編集]該当部屋に所属する年寄の中の責任者(師匠)の年寄名跡が部屋名に冠せられる。そのため、同じ部屋の部屋名のみ変更になる例、逆に、組織的つながりはなくても部屋名が同一になる例がある。
部屋の日常
[編集]相撲部屋の構成員は、部屋を代表する年寄(師匠)を中心に寝食を共にしており、幕下以下の力士(取的)は、大部屋で共同生活をする。十両以上の関取になると個室が与えられるが、結婚するまでは部屋に住むことが基本のルールである。ただし、関取を多く擁している部屋では個室が足りなくなり、やむを得ず関取にマンション暮らしを許す場合がある(春日野部屋や九重部屋など)[1]。
各部屋は、それぞれ自前の稽古場を持つ。以前は、稽古場を構えず、一門の部屋への出稽古を常態としていた部屋もあったが、1965年1月場所からの部屋別総当たり制を機に、稽古土俵を持たなければ部屋の新設・存続は認められなくなった。部屋の創立から施設の完成までに時間がかかる場合は、仮施設をOBから受けることが原則である。
どれだけ所属力士が多くても、ほとんどの部屋では稽古土俵は1つである。「他人の相撲を見るのも稽古のうち」という意味合いと、「他人を押しのけて土俵に上がるようでなくてはならない(それくらいの稽古に対する積極性と気概が必要だ)」という考え方による。ただし、稽古の効率化を図って2つの土俵を備える例も少数ながら存在する(前田山の高砂部屋、照國の伊勢ヶ濱部屋、琴櫻の佐度ヶ嶽部屋、稀勢の里の二所ノ関部屋)。また、肥後ノ海の木瀬部屋では、2017年11月場所(九州場所)の宿舎に3つの土俵を設置したことがあった。
協会からの独立性
[編集]相撲部屋は一種の"イエ"であり、日本相撲協会からも基本的に独立して運営されている。協会からは所属力士数等に応じて補助金が交付されるが、これだけでは部屋の運営を賄うことはできず[注釈 1]、師匠自身にも、自前で必要経費を調達する資金力が求められる。不動産としての部屋の施設も、師匠(当代、あるいは先代以前およびその遺族)、後援者などが資金を出して構える(あるいは、賃貸物件を構える)必要がある。また、部屋の立地自治体や近隣住民との繋がりも重視し、町興しの一環として相撲部屋が運営されている面もある[3][注釈 2]。
同部屋の力士は疑似的な「家族」であることから、本割では対戦しない(部屋別総当たり制)[注釈 3]。そして、入門時に所属した部屋から他部屋に移籍することは原則として認められない[注釈 4]。
部屋の継承、増減
[編集]相撲部屋も、通常の"イエ"のように、師匠から弟子へと、年寄名跡に付随する形で継承される。継承に際して、師匠の娘を有力な弟子と結婚させて養子縁組を行い、婿入りの形で民法上も親子関係を築く事例が少なくない。そのため、「部屋持ち親方は娘が生まれると赤飯炊いて喜ぶ」「相撲部屋に男児はいらぬ」と俗に言われる(師匠の息子が年寄襲名資格を満たせる成績を達成する保証はないため)[5]。
1つの部屋に部屋の創設の資格および意志を持った力士が複数名いる場合は、分家独立をして新しい部屋を構えることもある。逆に、後継者に恵まれなかった部屋や、年寄・力士がいなくなった部屋は閉鎖され、"イエ"の系統は途絶える(残っていた部屋の構成員は、他部屋に移籍する[注釈 5][注釈 6]。
部屋数は昭和まではおおむね30部屋前後で安定していたが、平成になると若乃花・貴乃花兄弟の活躍によって相撲人気が高まり総力士数が増え、それに合わせて部屋の新設が相次ぎ、2004年には史上最高の55部屋にまで到達した。しかし、新しい部屋の乱立によって所属力士が数人しかいない小規模な部屋が多くなり、部屋の運営に支障をきたしたり、歴史の浅い部屋が大相撲の伝統をうまく継承できずに力士が問題を起こすケースが出てきた。これを受けて、これまで明文化されていなかった部屋創設の要件として、師匠の現役時の成績を設けることによって(後述)、分家独立を抑制させた。平成後期以降は入門者の減少と合わせて部屋数も減少し、現在はおおむね43~45部屋前後で落ち着いている。
一門との関係
[編集]部屋の分離独立が進むと、同一の部屋から分離独立した部屋の系統が発生する。これらの系統に基づく部屋の集まりを「一門」と呼び、現在でも冠婚葬祭や合同稽古などを実施、協会の役員選挙も慣例的に一門別に頭数が割り振られている[注釈 7]。かつては無所属の部屋も許されていたが、2018年の貴乃花一門の解散を機に、いずれかの一門への所属が義務付けられるようになった(一門制度)。
東京以外の宿舎
[編集]国技館との間の交通の便などを考慮し、2024年現在では相撲部屋の本拠地は全て関東地方に存在する[注釈 8]が、大阪・名古屋・福岡の本場所開催時には、力士や親方・スタッフは場所の前後を含め約1ヶ月ほど現地に滞在する必要が生じる。そのため各部屋は現地滞在用の宿舎を独自に確保している。
宿舎として使われる施設は主に神社や寺が多い[注釈 9][7]が、後援者の伝手などを頼り大学や企業の研修施設を利用する例[8]や、ラグビー場や競馬場などの広大な公共施設の一角を利用する例[7][9]、旅館やスーパー銭湯などを利用する例[10]、パチンコ店の元店舗や支援者企業の倉庫などを転用する例[11]などもあり、部屋によって様々である。なお、地方場所の宿舎について、一部の部屋で暴力団関係者とのつながりが指摘されている例もあった事から、相撲協会による実態調査も行われたことがある[12]。
地方場所においては場所前後の1か月程度を現地に滞在する事から、稽古の見学や交流イベントなど地域住民との交流もはかられている[13]が、2020年以降の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大時においては、感染拡大防止対策の一環により、関係者の現地滞在期間が短縮されたり、交流イベントを中止するような制限も出ている[14]。
相撲部屋を取り巻く環境
[編集]番付上での力士の数は、1994年夏場所の943人がピークで、以降、少子化やスポーツの多様化で右肩下がりとなり、2013年春場所は605人にまで落ち込んだ。一時期、回復したが、2024年初場所は599人で、45年ぶりに600人を割った。新弟子確保が課題で、2023年の新弟子検査合格者は53人と6場所体制下で最小を記録した。
2024年初場所での所属力士数は、44部屋のうち、九重部屋が25人でトップ。2位は24人の佐渡ケ嶽部屋と高砂部屋、4位は22人の木瀬部屋、5位21人の玉ノ井部屋、6位追手風部屋と伊勢ケ浜部屋20人、8位19人出羽海部屋、9位は18人の6部屋(境川、式秀、高田川、二所ノ関、八角、宮城野)となる。一方、最少は、錦戸部屋の2人で、続いて片男波部屋の4人、安治川部屋の6人である[15]。
近年では核家族化の傾向も手伝って、力士志願の若者の中にも従来の大家族的な大所帯での生活になじめない者も多く、多数の兄弟子がいる大部屋をむしろ避ける傾向も見られる。出羽海や高砂などといった名門部屋でも、大部屋としてまとまっていくのは難しくなってきている。元横綱の栃ノ海は停年退職後に相撲部屋の小規模化の弊害について「稽古相手が少ないから強くならない。少ない弟子が部屋を去ることを恐れて親方が弟子に甘くなりがちである」とする趣旨の指摘を行ったことがある[16]。
また、協会から独立運営であるが故に相撲部屋の閉鎖性も指摘され、コンプライアンスに対する認識の甘さから部屋内での所属員による暴力事件・パワーハラスメント・モラルハラスメントが顕在化しつつあり、事件発覚のたびに処分が繰り返されている現状である。日本相撲協会ではコンプライアンス委員会を設置し「暴力行為禁止規定」を定め、対象者への厳罰化、さらには内部通報窓口による情報提供も行われているが、こうしたコンプライアンス遵守が協会員の間で徹底されていない現実がある。処分としては協会員の解雇などに加え、親方に対しては部屋を運営する素質が認められない場合は降格に加え、師匠の交代、部屋の閉鎖[注釈 10]などの厳罰が科されることもあるが、一部の部屋では協会に所属しない部屋の関係者(師匠夫人、いわゆる「女将」など)によるコンプライアンス違反の事例も見られ、こうした協会員以外の関係者には「協会としての指導や処分が下せない」問題も浮上している[注釈 11]。
かつて相撲部屋の女将は旅館や料亭の娘や花柳界の女性らがなる例も多かったというが、現在は結婚前に1人の女性として職を持ちながら関取と恋愛結婚して女将になるケースが多い[5]。
平成時代からはウエイトトレーニング設備を備えた部屋も多い。昭和時代までは器具で作った筋肉は相撲では役に立たないと敬遠される傾向があった(隆の里や霧島など昭和世代の力士にもウエイトトレーニングを取り入れた例はあった)が、平成に入って貴乃花や武双山[注釈 12]らの成功もあって、力士が他のトレーニングジムへ通う煩を避けるためもあり、こうした傾向が進んでいる。入門時の基準にこうした設備の充実を挙げる新弟子も少なくない。2010年代では九重部屋や伊勢ヶ濱部屋が筋力トレーニングを行う部屋の代表となっている。
力士の喫煙に関しては各部屋の師匠の考えによって異なる。かつては喫煙したら破門という部屋もあったが、中には上がり座敷で喫煙しながら指導していた親方もあり、師匠が喫煙者だと力士も容認される傾向にある。稽古場の陰に灰皿が置かれ、力士の稽古後の一服が珍しくない部屋もある。かつては角界においては喫煙者が珍しくない状況であったが、2023年7月場所終了時点では十両以上の関取70人のうち、喫煙者は10数%ほどで、8、9人に1人程度の割合である[22]。
多くの相撲部屋は、一般人の希望があれば稽古の見学を受け入れている。ただし、多くの部屋では見学者が守らなければならないルールを設けているのが実情である。一般に、相撲部屋の稽古見学では、私語、喫煙、飲食、席の途中移動、携帯電話の電源をONにすること、無断撮影、着帽・サングラスの着用、土俵や力士に足を向けること、土俵や稽古スペースに入り込むこと、体調不良時の見学が禁止されている[23]。
2020年以降に日本で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行した際、相撲部屋による共同生活が感染拡大防止のために避けるべき「密閉・密集・密接」という“3密”の最たる例でもあると指摘された[24]。2021年には荒汐部屋[25]や九重部屋[26]からそれぞれ12人以上の感染者が確認されクラスター化した。2022年2月には幕内42人中過半数が感染した[27]。
嘉風は現役終盤期に御嶽海、正代との鼎談で「基本的には名門大学ほどラインが強い。しかも有能な人材ほど、好きに部屋を選ばせてもらえない」と、大学の相撲部と相撲部屋の間にある人材供給のパイプの存在について語っている[28]。
部屋一覧
[編集]地図外部リンク | |
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大相撲 | |
相撲部屋の所在地 | |
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2024年12月18日現在の相撲部屋(5大一門、計45部屋)。すべて所在地が関東であり、特に両国国技館周辺の東京都墨田区に集中立地している。
部屋名 | 開祖 | 師匠 | 部屋付き親方 | 一門 | 創設年月日 | これまでの出世頭(十両以上、太字は現役力士) | 現役の出世頭(十両以上) | 独立した部屋 | 合併した部屋 | 旧部屋名 | 備考 |
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出羽海部屋 | 3代出羽ノ海 (幕下・桂川) |
11代出羽海 (前2・小城ノ花) |
14代中立(小結・小城錦) 16代高崎(前6・金開山) |
出羽海一門 総帥 |
1862年 | 常陸山 横綱・大錦 横綱・栃木山 横綱・常ノ花 横綱・武藏山 横綱・安藝ノ海 横綱・千代の山 横綱・佐田の山 横綱・三重ノ海 |
横綱・御嶽海 | 大関・春日野部屋 九重部屋[注釈 13] 武蔵川部屋 中立部屋 田子ノ浦部屋 |
田子ノ浦部屋[注釈 14] | ||
春日野部屋 | 8代春日野 (横綱・栃木山) |
11代春日野 (関脇・栃乃和歌) |
9代富士ヶ根(小結・大善) 15代二十山(小結・栃乃花) 24代竹縄(関脇・栃乃洋) 12代三保ヶ関(前1・栃栄) 13代清見潟(関脇・栃煌山) 19代岩友(関脇・碧山) |
出羽海一門 | 1925年 | 栃錦 横綱・栃ノ海 |
横綱・栃武蔵 | 十7・玉ノ井部屋 入間川部屋 千賀ノ浦部屋 |
田子ノ浦部屋[注釈 14] 二所ノ関部屋[注釈 15] 三保ヶ関部屋[注釈 16] |
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玉ノ井部屋 | 13代玉ノ井 (関脇・栃東) |
14代玉ノ井 (大関・栃東) |
不在 | 出羽海一門 | 1990年1月 | 栃東 | 大関・富士東 | 前4・なし | なし | ||
雷部屋 | 16代入間川 (関脇・栃司) |
17代雷 (小結・垣添) |
16代入間川(関脇・栃司) | 出羽海一門 | 1993年1月 | 皇司 | 前4・獅司 | 前16・なし | なし | 2023年1月31日までは入間川部屋。 | |
山響部屋 | 一代北の湖 (横綱・北の湖) |
20代山響 (前1・巌雄) |
29代小野川(前2・北太樹) | 出羽海一門 | 1985年12月1日 | 臥牙丸 | 小結・北磻磨 | 前15・なし | 二十山部屋 木瀬部屋[注釈 17] 三保ヶ関部屋[注釈 16] |
2015年11月30日までは北の湖部屋。 | |
式秀部屋 | 9代式守秀五郎 (小結・大潮) |
10代式守秀五郎 (前9・北桜) |
不在 | 出羽海一門 | 1992年4月 | 千昇 | 十14・不在 | なし | なし | 2013年1月4日までは時津風一門所属。 | |
木瀬部屋 | 11代木村瀬平 (前1・肥後ノ海) |
15代若藤(前4・皇司) 13代稲川(小結・普天王) 17代井筒(前12・明瀬山) 21代千田川(前2・德勝龍) |
出羽海一門 | 2003年12月1日 | [注釈 18]・臥牙丸 小結・常幸龍 小結・宇良 |
小結宇良 | 小結・なし | なし | 2010年5月31日から2012年4月1日まで部屋閉鎖処分[注釈 17]。 | ||
尾上部屋 | 17代尾上 (小結・濱ノ嶋) |
22代千賀ノ浦(前12・里山) 22代北陣(前8・天鎧鵬) |
出羽海一門 | 2006年8月1日 | 把瑠都 | 大関・不在 | なし | なし | |||
藤島部屋 | 14代武蔵川 (横綱・三重ノ海) |
18代藤島 (大関・武双山) |
15代大鳴戸(大関・出島) 14代山分(前1・武雄山) 13代待乳山(前3・武州山) 19代錦島(前2・翔天狼) |
出羽海一門 | 1981年8月 | 武蔵丸 | 横綱・武将山 | 前12・武蔵川部屋 二子山部屋 |
なし | 2010年9月30日までは武蔵川部屋。 | |
武蔵川部屋 | 15代武蔵川 (横綱・武蔵丸) |
不在 | 出羽海一門 | 2013年4月1日 | 不在 | なし | なし | ||||
二子山部屋 | 14代二子山 (大関・雅山) |
不在 | 出羽海一門 | 2018年4月1日 | 狼雅 | 前8・なし | なし | ||||
境川部屋 | 12代中立 (小結・両国) |
13代境川 (小結・両国) |
18代関ノ戸(小結・岩木山) 15代山科(前2・豊響) 20代振分(関脇・妙義龍) 20代立田川(前14・寶千山) |
出羽海一門 | 1998年5月 | 豪栄道 | 大関・平戸海 | 小結・武隈部屋 | なし | 2003年1月までは中立部屋。 | |
武隈部屋 | 14代武隈 (大関・豪栄道) |
不在 | 出羽海一門 | 2022年2月1日 | 豪ノ山 | 前2・なし | なし | ||||
立浪部屋 | 4代立浪 (小結・緑嶌) |
7代立浪 (小結・旭豊) |
不在 | 出羽海一門 | 1915年 | 双葉山 横綱・羽黒山 横綱・双羽黒 |
横綱・豊昇龍 | 大関・中川部屋 時津風部屋 春日山部屋 大島部屋 武隈部屋 |
追手風部屋 熊ヶ谷部屋 |
2012年5月までは伊勢ヶ濱一門所属。 2018年5月までは貴乃花一門所属。 2018年9月までは無所属。 | |
二所ノ関部屋 | 16代荒磯 (横綱・稀勢の里) |
13代二所ノ関 (横綱・稀勢の里) |
不在 | 二所ノ関一門 総帥 |
2021年8月1日 | 大の里 | 大関・中村部屋 | 尾車部屋[注釈 19] | 2021年12月23日までは荒磯部屋。 | ||
中村部屋 | 13代中村 (関脇・嘉風) |
不在 | 二所ノ関一門 | 2024年6月1日 | [注釈 20]・友風 | 前3なし | なし | ||||
放駒部屋 | 9代松ヶ根 (大関・若嶋津) |
18代放駒 (関脇・玉乃島) |
10代松ヶ根(前8・玉力道) | 二所ノ関一門 | 1990年2月18日 | 松鳳山 | 小結・一山本 | 前7・なし | 二所ノ関部屋[注釈 15] | 2014年12月1日までは松ヶ根部屋。 2021年12月23日までは二所ノ関部屋。 |
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佐渡ヶ嶽部屋 | 11代佐渡ヶ嶽 (小結・琴錦) |
13代佐渡ヶ嶽 (関脇・琴ノ若) |
13代粂川(小結・琴稲妻) 16代白玉(前3・琴椿) 18代浜風(前3・五城楼) 18代荒磯(関脇・琴勇輝) 9代尾車(前4・琴恵光) |
二所ノ関一門 | 1955年 | 初代琴櫻 | 横綱・2代琴櫻 | 大関・尾車部屋 鳴戸部屋 秀ノ山部屋 |
なし | ||
押尾川部屋 | 22代押尾川 (関脇・豪風) |
不在 | 二所ノ関一門 | 2022年2月7日 | [注釈 21]・矢後 | 前10なし | 尾車部屋[注釈 19] | ||||
鳴戸部屋 | 15代鳴戸 (大関・琴欧洲) |
不在 | 二所ノ関一門 | 2017年4月1日 | 欧勝馬 | 前4・なし | なし | ||||
秀ノ山部屋 | 14代秀ノ山 (大関・琴奨菊) |
不在 | 二所ノ関一門 | 2024年10月19日 | 不在 | なし | なし | ||||
片男波部屋 | 12代片男波 (関脇・玉乃海) |
14代片男波 (関脇・玉春日) |
17代熊ヶ谷(前9・玉飛鳥) | 二所ノ関一門 | 1961年5月 | 玉の海 | 横綱・玉鷲 | 関脇・なし | 中川部屋[注釈 22] | ||
田子ノ浦部屋 | 13代鳴戸 (横綱・隆の里) |
15代田子ノ浦 (前8・隆の鶴) |
不在 | 二所ノ関一門 | 1989年2月1日 | 稀勢の里 | 横綱・髙安 | 大関・西岩部屋 荒磯部屋 |
なし | 2013年12月25日までは鳴戸部屋。 | |
西岩部屋 | 12代西岩 (関脇・若の里) |
不在 | 二所ノ関一門 | 2018年2月1日 | 不在 | なし | 峰崎部屋[注釈 23] | ||||
高田川部屋 | 8代高田川 (大関・前の山) |
9代高田川 (関脇・安芸乃島) |
15代花籠(関脇・太寿山) | 二所ノ関一門 | 1974年4月 | 前乃臻 小結・剣晃 小結・竜電 |
小結・竜電 | 小結・なし | 峰崎部屋[注釈 23] | 1998年1月までは高砂一門所属。 2011年1月17日までは無所属。 | |
芝田山部屋 | 12代芝田山 (横綱・大乃国) |
7代峰崎(前2・三杉磯) | 二所ノ関一門 | 1999年6月 | 若乃島 | 十7・不在 | なし | 放駒部屋 峰崎部屋[注釈 23] |
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大嶽部屋 | 一代大鵬 (横綱・大鵬) |
17代大嶽 (十4・大竜) |
不在 | 二所ノ関一門 | 1971年12月 | 巨砲 | 関脇・王鵬 | 前1・阿武松部屋 | 押尾川部屋[注釈 24] | 2004年1月1日までは大鵬部屋。 | 2010年1月までは二所ノ関一門所属。 2018年6月までは貴乃花一門所属。 2018年9月までは旧貴乃花一門所属扱い。 |
阿武松部屋 | 12代阿武松 (関脇・益荒雄) |
13代阿武松 (前8・大道) |
12代不知火(小結・若荒雄) | 二所ノ関一門 | 1994年10月 | 若荒雄 小結・阿武咲 |
小結・阿武剋 | 前14・なし | なし | 2010年1月までは二所ノ関一門所属。 2018年6月までは貴乃花一門所属。 2018年9月までは旧貴乃花一門所属扱い。 | |
常盤山部屋 | 19代千賀ノ浦 (関脇・舛田山) |
17代常盤山 (小結・隆三杉) |
14代湊川(大関・貴景勝) | 二所ノ関一門 | 2004年9月27日 | 貴景勝 | 大関・隆の勝 | 関脇・なし | 貴乃花部屋 | 2020年11月26日までは千賀ノ浦部屋。 | 2016年4月8日までは出羽海一門所属。 2018年6月までは貴乃花一門所属。 2018年9月までは旧貴乃花一門所属扱い。 |
湊部屋 | 22代湊 (小結・豊山) |
23代湊 (前2・湊富士) |
不在 | 二所ノ関一門 | 1982年12月 | 逸ノ城 | 関脇・不在 | なし | なし | 2017年12月17日までは時津風一門所属。 2018年9月までは無所属。 | |
錣山部屋 | 20代錣山 (関脇・寺尾) |
21代錣山 (小結・豊真将) |
不在 | 二所ノ関一門 | 2004年1月27日 | 阿炎 | 関脇・なし | なし | 2017年12月17日までは時津風一門所属。 2018年9月までは無所属。 | ||
時津風部屋 | 一代双葉山 (横綱・双葉山) |
17代時津風 (前1・土佐豊) |
13代枝川(前1・蒼樹山) 15代中川(前14・旭里) |
時津風一門 総帥 |
1941年5月 | 鏡里 | 横綱・正代 | 大関・立田川部屋 湊部屋 式秀部屋 荒汐部屋 |
中川部屋[注釈 22] | 1945年11月までは双葉山相撲道場。 | |
荒汐部屋 | 8代荒汐 (小結・大豊) |
9代荒汐 (前2・蒼国来) |
17代浦風(前1・敷島) | 時津風一門 | 2002年6月1日 | 若隆景 関脇・若元春 |
関脇・なし | 中川部屋[注釈 22] 陸奥部屋[注釈 25] |
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伊勢ノ海部屋 | 不明 | 12代伊勢ノ海 (前3・北勝鬨) |
13代勝ノ浦(前2・起利錦) 10代甲山(前11・大碇) 13代立川(関脇・土佐ノ海) 24代春日山(関脇・勢) 8代鏡山(関脇・多賀竜) |
時津風一門 | 1757年以前[注釈 26] | 谷風 横綱・柏戸 |
横綱・錦木 | 小結・鏡山部屋 | 中川部屋[注釈 22] 鏡山部屋 陸奥部屋[注釈 25] |
1942年5月再興。 | |
音羽山部屋 | 24代音羽山 (横綱・鶴竜) |
9代陸奥(大関・初代霧島) | 時津風一門 | 2023年12月27日 | [注釈 27]・2代霧島 | 大関なし | 陸奥部屋[注釈 25] | ||||
追手風部屋 | 11代追手風 (前2・大翔山) |
12代立田山(前1・薩洲洋) 13代高島(関脇・髙望山) |
時津風一門 | 1998年10月1日 | 追風海 関脇・大栄翔 |
関脇・大栄翔 | 関脇・中川部屋 | 春日山部屋[注釈 28] 中川部屋[注釈 22] 陸奥部屋[注釈 25] |
2016年12月22日までは伊勢ヶ濱一門所属。 | ||
高砂部屋 | 初代高砂 (前1・高砂) |
8代高砂 (関脇・朝赤龍) |
15代若松(前1・朝乃若) | 高砂一門 総帥 |
1880年頃 | 初代西ノ海 横綱・初代小錦 横綱・前田山 横綱・東富士 横綱・3代朝潮 横綱・朝青龍 |
横綱・朝乃山 | 大関・大山部屋 若松部屋 高田川部屋 東関部屋 中村部屋 錦戸部屋 |
大山部屋 若松部屋 |
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錦戸部屋 | 10代錦戸 (関脇・水戸泉) |
不在 | 高砂一門 | 2002年12月1日 | 水戸龍 | 前13・なし | 押尾川部屋[注釈 24] | ||||
九重部屋 | 11代九重 (横綱・千代の山) |
14代九重 (大関・千代大海) |
13代谷川(関脇・北勝力) 25代佐ノ山(前1・千代の国) 13代大山(小結・千代鳳) |
高砂一門 | 1967年1月31日 | 北の富士 横綱・千代の富士 横綱・北勝海 |
横綱・千代翔馬 | 前2・井筒部屋 八角部屋 |
井筒部屋 | ||
八角部屋 | 8代八角 (横綱・北勝海) |
19代陣幕(前1・富士乃真) 14代東関(小結・高見盛) 13代君ヶ濱(関脇・隠岐の海) |
高砂一門 | 1993年10月 | 北勝力 関脇・隠岐の海 |
関脇・北勝富士 | 小結・なし | 東関部屋 | |||
伊勢ヶ濱部屋 | 3代安治川 (関脇・陸奥嵐) |
9代伊勢ヶ濱 (横綱・旭富士) |
17代楯山(前6・誉富士) 13代宮城野(横綱・白鵬) 23代間垣(前5・石浦) |
伊勢ヶ濱一門 総帥 |
1979年4月 | 日馬富士 横綱・照ノ富士 |
横綱・照ノ富士 | 横綱・安治川部屋 | 間垣部屋 朝日山部屋[注釈 29] 宮城野部屋 |
2007年11月までは安治川部屋。 | |
安治川部屋 | 8代安治川 (関脇・安美錦) |
不在 | 伊勢ヶ濱一門 | 2022年12月1日 | 安青錦 | 十11・なし | なし | ||||
大島部屋 | 8代高嶋 (前4・八甲山) |
6代大島 (関脇・旭天鵬) |
18代玉垣(小結・智乃花) | 伊勢ヶ濱一門 | 1922年 | 吉葉山 | 横綱・旭大星 | 前8・追手風部屋 浅香山部屋 |
武隈部屋 大島部屋 中川部屋[注釈 22] |
1961年5月までは高嶋部屋。 2022年1月31日までは友綱部屋。 |
|
浅香山部屋 | 15代浅香山 (大関・魁皇) |
13代友綱(関脇・魁聖) | 伊勢ヶ濱一門 | 2014年2月1日 | 魁勝 | 十2・なし | 朝日山部屋[注釈 29] | ||||
朝日山部屋 | 19代朝日山 (関脇・琴錦) |
不在 | 伊勢ヶ濱一門 | 2016年6月1日 | 不在 | なし | 中川部屋[注釈 22] | 2017年1月12日までは二所ノ関一門所属。 |
過去に存在した部屋
[編集]平成以降
[編集]デフォルトでは消滅年月の昇順。部屋名は50音順ソート、師匠の列は番付順ソート。
部屋の閉鎖によるもの
[編集]部屋名 | 師匠 | 一門 | 消滅年月 | 理由 | 移籍先 (特記外は全員同一部屋) |
備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
春日山部屋 | 前頭1・大昇 | 立浪・伊勢ヶ濱 | 1990年7月 | 16代春日山が停年直前に部屋を閉鎖したため | 安治川部屋 | 1997年7月再興 |
大鳴戸部屋 | 関脇・高鉄山 | 立浪・伊勢ヶ濱 | 1995年1月 | 11代大鳴戸が廃業したため | 桐山部屋 | |
熊ヶ谷部屋 | 芳野嶺 | 前頭8・立浪・伊勢ヶ濱 | 1996年5月 | 12代熊ヶ谷が停年直前に部屋を閉鎖したため | 立浪部屋 | |
木瀬部屋 | 清ノ森 | 前頭9・立浪・伊勢ヶ濱 | 2000年2月 | 10代木瀬が停年直前に部屋を閉鎖したため | 桐山部屋 | |
立田川部屋 | 青ノ里 | 関脇・時津風 | 2000年9月 | 14代立田川が停年直前に部屋を閉鎖したため | 陸奥部屋 | |
甲山部屋 | 大雄 | 前頭1・時津風 | 2002年7月 | 所属力士が0人となったため | 湊部屋 | |
武隈部屋 | 黒姫山 | 関脇・立浪・伊勢ヶ濱 | 2004年3月 | 所属力士が0人となったため | 友綱部屋 | |
押尾川部屋 | 大関・大麒麟 | 二所ノ関 | 2005年3月 | 17代押尾川が停年前に部屋を閉鎖したため | *尾車部屋[注釈 30] * 大嶽部屋 [注釈 31] * 錦戸部屋 [注釈 32] |
|
二十山部屋 | 北天佑 | 大関・出羽海 | 2006年6月 | 13代二十山死去のため | 北の湖部屋 | |
伊勢ヶ濱部屋 | 和晃 | 前頭1・立浪 | 2007年 | 1月8代伊勢ヶ濱が停年前に部屋を閉鎖したため | * 桐山部屋[注釈 33] * 高島部屋[注釈 34] |
|
荒磯部屋 | 小結・二子岳 | 二所ノ関 | 2008年9月 | 12代荒磯が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 松ヶ根部屋[注釈 35] * 花籠部屋[注釈 36] |
|
木瀬部屋 | 肥後ノ海 | 前頭1・出羽海 | 2010年5月 | 11代木瀬の不祥事により部屋閉鎖処分となったため | 北の湖部屋 | 2012年4月処分解除に伴い再興 |
桐山部屋 | 黒瀬川 | 小結・立浪 | 2011年1月 | 20代桐山が停年前に部屋を閉鎖したため | * 朝日山部屋[注釈 37] * 追手風部屋[注釈 38] * 友綱部屋[注釈 39] |
|
高島部屋 | 高望山 | 関脇・立浪 | 2011年6月 | 所属力士が0人となったため | 春日山部屋 | |
田子ノ浦部屋 | 久島海 | 前頭1・出羽海 | 2012年 | 2月14代田子ノ浦死去のため | * 出羽海部屋[注釈 40] * 春日野部屋[注釈 41] |
平成以降で初めて所属力士が2部屋以上に分かれて移籍 |
大島部屋 | 旭國 | 大関・立浪 | 2012年 | 4月2代大島が停年のため | 友綱部屋 | |
花籠部屋 | 太寿山 | 関脇・二所ノ関 | 2012年 | 5月15代花籠が停年前に部屋を閉鎖したため | 峰崎部屋 | |
中村部屋 | 富士櫻 | 関脇・高砂 | 2012年12月 | 10代中村が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 東関部屋[注釈 42] * 八角部屋[注釈 43] |
|
二所ノ関部屋 | 金剛 | 関脇・二所ノ関 | 2013年[注釈 44] | 1月所属力士が0人となったため | * 松ヶ根部屋[注釈 45] * 春日野部屋[注釈 46] |
|
放駒部屋 | 魁傑 | 大関・二所ノ関 | 2013年 | 2月17代放駒が停年直前に部屋を閉鎖したため | 芝田山部屋 | |
間垣部屋 | 横綱・若乃花 | 貴乃花 | 2013年 | 3月18代間垣が停年前に部屋を閉鎖したため | 伊勢ヶ濱部屋 | |
三保ヶ関部屋 | 増位山 | 大関・出羽海 | 2013年10月 | 10代三保ヶ関が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 春日野部屋[注釈 47] * 北の湖部屋[注釈 48] |
|
朝日山部屋 | 大受 | 大関・伊勢ヶ濱 | 2015年1月 | 18代朝日山が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 伊勢ヶ濱部屋[注釈 49] * 浅香山部屋[注釈 50] |
|
春日山部屋 | 前頭11・濵錦 | 伊勢ヶ濱 | 2016年10月 | 21代春日山の師匠不適格処分に伴い部屋が一時閉鎖処分となったため | 追手風部屋 | 2017年中川部屋として再興 |
貴乃花部屋 | 貴乃花 | 横綱・無所属 (旧貴乃花) |
2018年10月 | 一代年寄貴乃花が相撲協会を退職したため | 千賀ノ浦部屋 | |
井筒部屋 | 逆鉾 | 関脇・時津風 | 2019年9月[注釈 51] | 15代井筒死去のため | 陸奥部屋 | 15代井筒の死去が本場所中のため、本場所終了までは鏡山部屋の一時預かりとなり本場所終了後陸奥部屋へ移籍 |
中川部屋 | 旭里 | 前頭14・時津風 | 2020年7月 | 15代中川の不適切指導による懲戒処分(部屋閉鎖)のため | * 時津風部屋[注釈 52] * 友綱部屋[注釈 53] * 片男波部屋[注釈 54] * 宮城野部屋[注釈 55] * 朝日山部屋[注釈 56] * 追手風部屋[注釈 57] * 荒汐部屋[注釈 58] * 伊勢ノ海部屋[注釈 59] |
|
東関部屋 | 高見盛 | 小結・高砂 | 2021年4月 | 14代東関が停年前に部屋を閉鎖したため | 八角部屋 | |
峰崎部屋 | 三杉磯 | 前頭2・二所ノ関 | 2021年4月 | 7代峰崎が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 芝田山部屋[注釈 60] * 高田川部屋[注釈 61] * 西岩部屋[注釈 62] |
|
鏡山部屋 | 多賀竜 | 関脇・時津風 | 2021年7月 | 8代鏡山が停年前に部屋を閉鎖したため | 伊勢ノ海部屋 | |
尾車部屋 | 琴風 | 大関・二所ノ関 | 2022年2月 | 8代尾車が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 押尾川部屋[注釈 63] * 二所ノ関部屋[注釈 64] |
|
宮城野部屋 | 白鵬 | 横綱・伊勢ヶ濱 | 2024年4月 | 13代宮城野に対する「師匠、親方の指導教育」を実施するため部屋が伊勢ヶ濱一門預かりとなったため | 伊勢ヶ濱部屋 | |
陸奥部屋 | 初代霧島 | 大関・時津風 | 2024年4月 | 9代陸奥が停年直前に部屋を閉鎖したため | * 音羽山部屋[注釈 65] * 荒汐部屋[注釈 66] * 追手風部屋[注釈 67] * 伊勢ノ海部屋[注釈 68] |
部屋名の変更によるもの
[編集]部屋名 | 師匠 | 一門 | 消滅年月 | 変更後の部屋名 | 変更理由 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
藤島部屋 | 大関・貴ノ花 | 二所ノ関 | 1993年2月 | 二子山部屋 | 藤島部屋と二子山部屋が合併し、12代藤島が11代二子山に名跡変更したため | |
若松部屋 | 朝潮 | 大関・高砂 | 2002年2月 | 高砂部屋 | 若松部屋と高砂部屋が合併し、11代若松が7代高砂に名跡変更したため | |
中立部屋 | 小結・両国 | 出羽海 | 2003年1月 | 境川部屋 | 12代中立が13代境川に名跡変更したため | |
大鵬部屋 | 横綱・大鵬 | 二所ノ関 | 2004年1月 | 大嶽部屋 | 一代年寄大鵬から16代大嶽へ部屋を継承したため | |
二子山部屋 | 貴ノ花 | 大関・二所ノ関 | 2004年2月 | 貴乃花部屋 | 11代二子山から一代年寄貴乃花へ部屋を継承したため | |
安治川部屋 | 旭富士 | 横綱・立浪 | 2007年11月 | 伊勢ヶ濱部屋 | 4代安治川が9代伊勢ヶ濱に名跡変更したため | |
武蔵川部屋 | 三重ノ海 | 横綱・出羽海 | 2010年9月 | 藤島部屋 | 14代武蔵川から18代藤島へ部屋を継承したため | |
鳴戸部屋 | 前頭8・隆の鶴 | 二所ノ関 | 2013年12月 | 田子ノ浦部屋 | 14代鳴戸が16代田子ノ浦に名跡変更したため | |
松ヶ根部屋 | 若嶋津 | 大関・二所ノ関 | 2014年12月 | 二所ノ関部屋 | 9代松ヶ根が12代二所ノ関に名跡変更したため | |
北の湖部屋 | 北の湖 | 横綱・出羽海 | 2015年11月 | 山響部屋 | 一代年寄北の湖の死去に伴い、20代山響が部屋を継承したため | 一代年寄北の湖の死去が本場所中だったため本場所終了までは20代山響が師匠代行を務めた |
千賀ノ浦部屋 | 隆三杉 | 小結・二所ノ関 | 2020年11月 | 常盤山部屋 | 20代千賀ノ浦が17代常盤山に名跡変更したため | |
二所ノ関部屋 | 若嶋津 | 大関・二所ノ関 | 2021年12月 | 放駒部屋 | 12代二所ノ関から18代放駒へ部屋を継承したため | 名称変更時に床山1名が片男波部屋へ移籍 |
荒磯部屋 | 稀勢の里 | 横綱・二所ノ関 | 2021年12月 | 二所ノ関部屋 | 16代荒磯が13代二所ノ関に名跡変更したため | |
友綱部屋 | 関脇・旭天鵬 | 伊勢ヶ濱 | 2022年2月 | 大島部屋 | 11代友綱が6代大島に名跡変更したため | |
入間川部屋 | 栃司 | 関脇・出羽海 | 2023年2月 | 雷部屋 | 16代入間川から17代雷へ部屋を継承したため | 名称変更時に15代若藤が木瀬部屋へ移籍 |
平成以前
[編集]左から閉鎖した部屋名、閉鎖した年、閉鎖時点の師匠の現役名。
- 大山部屋 1986年 大飛進
- 花籠部屋1985年 輪島大士
- 高島部屋 1982年 三根山隆司
- 君ヶ濱部屋1978年 鶴ヶ嶺昭男
- 間垣部屋 1975年 清水川明於
- 中川部屋 1973年 清恵波清隆
- 谷川部屋1969年 八幡野平八郎[注釈 69]
- 湊川部屋1965年 十勝岩豊
- 小野川部屋1965年 錦華山大五郎 [注釈 70]
- 追手風部屋1965年 清水川元吉
- 錦島部屋1964年 木村今朝三
- 振分部屋1964年 朝潮太郎 (3代)
- 佐ノ山部屋1964年 國登國生
- 立川部屋1963年 緋縅力弥 (4代)
- 大鳴戸部屋1963年 二瀬山勝語
- 浦風部屋1962年 太郎山勇吉 [注釈 71]
- 雷部屋1961年 番神山政三郎
- 中村部屋1961年 楯甲新蔵
- 熊ヶ谷部屋1961年 三根山隆司
- 荒磯部屋1961年 照國萬蔵 [注釈 72]
- 吉葉山道場1960年 吉葉山潤之輔
- 陸奥部屋1960年 大潮清治郎
- 佐ノ山部屋1960年 朝響信親
- 宮城野部屋1957年 鳳谷五郎
- 熊ヶ谷部屋1957年 敷嶌猪之助 [注釈 73]
- 西岩部屋1956年 鯱ノ里一郎 [注釈 74]
- 富士ヶ根部屋1955年 若湊三郎 [注釈 75]
- 武隈部屋1954年 両國勇治郎 [注釈 76]
- 陣幕部屋 1954年 青葉山徳雄 [注釈 77]
- 式秀部屋1954年 有明五郎
- 芝田山部屋1953年 大ノ海久光
- 尾上部屋1952年 野州山義朗 [注釈 78]
- 安治川部屋1951年 巴潟誠一
- 山分部屋 1949年 駒ノ里秀雄
- 若藤部屋 1948年 越ノ海東治郎
- 振分部屋 1948年 浪ノ音健蔵 [注釈 79]
- 湊川部屋 1948年 綾錦由之丞
- 枝川部屋 1947 海光山大五郎
- 春日山部屋 1947年 藤ノ川雷五郎
- 甲山部屋 1947年 小松山貞造
- 玉ノ井部屋 1947年 陸奥錦秀二郎
- 友綱部屋 1947年 矢筈山登
- 花籠部屋 1947年 三杉礒善七
- 中川部屋 1947年 吉野山要治郎
- 二子山部屋 1947年 土州山役太郎
- 双葉山道場1946年 双葉山定次
- 音羽山部屋1946年 白岩亮治 [注釈 80]
- 立田山部屋1946年 能代潟錦作
- 三保ヶ関部屋 1946年 滝ノ海調太郎
- 谷川部屋 1946年 黒瀬川浪之助
- 高崎部屋 1946年 錦華山大五郎
- 佐渡ヶ嶽部屋 1946年 阿久津川高一郎
- 鏡山部屋 1945年 金木山弥一郎
- 芝田山部屋 1944年 宮城山福松
- 高田川部屋 1944年 早瀬川一栄 [注釈 81]
- 玉垣部屋 1943年 巴潟誠一
- 式秀部屋 1943年 有明吾郎
- 片男波部屋 1943年 開月勘太郎 [注釈 82]
- 千賀ノ浦部屋 1943年 幡瀬川邦七郎
- 甲山部屋 1943年 小田ノ山権蔵
- 二十山部屋 1943年 小錦八十吉 (2代)
- 荒汐部屋 1943年 殿り卯三郎
- 粂川部屋 1942年 鏡岩善四郎
- 時津風部屋 1941年 小九紋竜梅吉 [注釈 83]
- 尾車部屋 1941年 大戸平吉太郎 [注釈 84]
- 八角部屋 1940年 大鳴門灘右エ門 (3代) [注釈 85]
- 出来山部屋 1938年 紫雲竜吉之助
- 松ヶ根部屋 1935年 紅葉川規知朝
- 押尾川部屋 1935年 時ノ矢五郎
- 待乳山部屋 1934年 光風貞太郎
- 九重部屋 1934年 豊國福馬
- 浅香山部屋 1934年 西ノ海嘉治郎 (3代)
- 武蔵川部屋 1933年 鴨緑江渡右衛門
- 山科部屋 1933年 柏山吾郎
- 白玉部屋 1932年 宮城山福松
- 片男波部屋 1932年 高緑太三郎
- 中川部屋 1931年 鬼鹿毛清七
- 錦戸部屋 1931年 錦戸春吉
- 浦風部屋 1931年 浦ノ濱栄治郎
- 立田山部屋 1930年 白岩亮治
- 岩友部屋1930年 響矢由太郎
- 清見潟部屋1930年 岩木山孫平
- 楯山部屋1930年 国ノ音治三郎
- 追手風部屋1929年 追手風政吉
- 中立部屋1928年 伊勢ノ濱慶太郎
- 千賀ノ浦部屋1928年 綾川五郎次
- 白玉部屋1928年 玉椿憲太郎
- 湊川部屋1928年 綾浪源鋭
- 千田川部屋1928年 木村喜三郎
- 田子ノ浦部屋1927年 鬼ヶ谷才治
- 浅香山部屋1927年 八嶌山平八郎
- 湊部屋1927年 日ノ出山常吉
- 荒磯部屋1927年 鶴渡清治郎
- 雷部屋1927年 梅ヶ谷藤太郎 (2代)
- 桐山部屋1927年 高武蔵源太郎
- 勝ノ浦部屋1927年滝ノ音啓五郎
- 錣山部屋1925年 小金山伝治郎
- 入間川部屋1923年 両國梶之助
- 音羽山部屋1923年 梅垣直治郎
- 不知火部屋 1923年 松の音吉松
- 藤島部屋1923年 藤見嶽虎之助
- 春日山部屋1923年 當り矢信太郎
- 立川部屋1923年 甲吾郎
- 峰崎部屋1922年 木村銀治郎 (2代)
- 高島部屋1922年 谷ノ音喜市
- 花籠部屋1921年 荒岩亀之助
- 佐ノ山部屋1921年 朝汐太郎 (初代)
- 大嶽部屋1920年 玉手山七郎
- 東関部屋1920年 太刀山峰右エ門
- 根岸部屋 1920年代? 根岸治右衛門 (10代)
- 待乳山部屋1919年 大砲万右エ門
- 稲川部屋1916年 稲川政右エ門 (4代)
- 錦戸部屋1916年 錦戸春吉
- 甲山部屋1915年 大甲信太郎
- 秀ノ山部屋1914年 天津風雲右エ門
- 入間川部屋1911年 有村直吉
- 武蔵川部屋1911年 劔山谷右エ門 (2代)
- 千賀ノ浦部屋1910年 大泉保吉
- 関ノ戸部屋1910年代? 逆鉾与治郎
- 竹縄部屋 1910年代? 千歳川絹治
- 八角部屋1908年 大鳴門灘右エ門 (2代)
- 立田川部屋1907年 朝日嶽鶴之助 (幕下)
- 玉垣部屋1905年 浦ノ海光太郎
- 木瀬部屋1905年 木村瀬平
- 千賀ノ浦部屋1904年 大達羽左エ門
- 九重部屋1903年 浦湊喜太郎
- 濱風部屋1900年代?稲葉山菊二郎
以下は存在時期及び、師匠が不明な部屋である。
- 雷電部屋
- 木村庄之助部屋
- 式守伊之助部屋
- 秋津嶋部屋
- 阿蘇ヶ嶽部屋
- 出水川部屋
- 梅ヶ谷部屋
- 大木戸部屋
- 大橋部屋
- 神楽部屋
- 柏戸部屋
- 御所ヶ浦部屋
- 御所車部屋
- 呉服部屋
- 小松山部屋
- 竹嶋部屋
- 千歳川部屋
- 笘ヶ嶋部屋
- 名取川部屋
- 捻鉄部屋
- 八ッヶ峰部屋
- 雪見山部屋
- 四賀峰部屋
- 七ツ森部屋
部屋の創設・継承資格
[編集]もともと部屋の分離独立に関する基準はなく、理事会で承認されればどの年寄でも部屋を新設することができたが、上述の部屋数の急増を受けて、平成中期に部屋創設の要件に該当年寄の現役時代の成績の制限を加えた。
- 部屋創設(分家独立)の要件
2006年9月28日制定。以下の要件を満たし、引退から1年以上経過した後、師匠の了承と理事会の承認を得ること[29]。
- 既存の部屋の継承に限定した要件
1998年5月1日制定。現役力士が理事会で相撲部屋継承者と認められれば、通常の年寄襲名条件(年寄名跡#襲名条件を参照)ではなく、例外規定を適用し、現役を引退して部屋を継承することが可能となった。条件は以下。
現在の有資格者
[編集]- 部屋付きの年寄で部屋創設の条件を満たしたもの
年寄名 | 現役時代の四股名 | 条件 | 備考 |
---|---|---|---|
宮城野翔 みやぎの しょう |
白鵬翔 | 元横綱 | モンゴル出身 過去に師匠経験あり[注釈 86] |
大鳴戸武春 おおなると たけはる |
出島武春 | 元大関 | |
湊川貴信 みなとがわ たかのぶ |
貴景勝貴信 | 元大関 | |
清見潟雄一郎 きよみがた ゆういちろう |
栃煌山雄一郎 | 三役通算25場所 (最高位関脇) |
|
竹縄泰一 たけなわ たいいち |
栃乃洋泰一 | 幕内通算81場所 (最高位関脇) |
|
立川敏生 たてかわ としお |
土佐ノ海敏生 | 幕内通算80場所 (最高位関脇) |
|
君ヶ濱歩 きみがはま あゆみ |
隠岐の海歩 | 幕内通算75場所 (最高位関脇) |
|
岩友亘右 いわとも こうすけ |
碧山亘右 | 幕内通算71場所 (最高位関脇) |
ブルガリア出身 |
振分泰成 ふりわけ やすなり |
妙義龍泰成 | 幕内通算71場所 (最高位関脇) |
|
友綱一郎 ともづな いちろう |
魁聖一郎 | 幕内通算60場所 (最高位関脇) |
ブラジル出身 |
粂川佳弘 くめがわ よしひろ |
琴稲妻佳弘 | 幕内通算60場所 (最高位小結) |
規定が適用された例
[編集]この規定になって以降、部屋を新設したのは12例である。
部屋名 | 創設年月 | 年寄名 (現役時代の四股名) |
条件 (独立時の所属部屋) |
備考 |
---|---|---|---|---|
武蔵川部屋 | 2013年4月 | 武蔵川光偉 (武蔵丸光洋) |
第67代横綱 (藤島部屋) |
アメリカ合衆国出身 |
浅香山部屋 | 2014年2月 | 浅香山博之 (魁皇博之) |
元大関 (友綱部屋) |
|
朝日山部屋 | 2016年6月 | 朝日山宗功 (琴錦功宗) |
三役通算34場所(最高位関脇) (尾車部屋) |
出身部屋は佐渡ヶ嶽部屋 |
鳴戸部屋 | 2017年4月 | 鳴戸勝紀 (琴欧洲勝紀) |
元大関 (佐渡ヶ嶽部屋) |
ブルガリア出身 |
西岩部屋 | 2018年2月 | 西岩忍 (若の里忍) |
三役通算26場所(最高位関脇) (田子ノ浦部屋) |
|
二子山部屋 | 2018年4月 | 二子山雅高 (雅山哲士) |
元大関 (藤島部屋) |
|
荒磯部屋 | 2021年8月 | 荒磯寛 (稀勢の里寛) |
第72代横綱 (田子ノ浦部屋) |
2021年12月24日、二所ノ関部屋に改称 |
武隈部屋 | 2022年2月 | 武隈豪太郎 (豪栄道豪太郎) |
元大関 (境川部屋) |
|
押尾川部屋 | 2022年2月 | 押尾川旭 (豪風旭) |
幕内通算86場所(最高位関脇) (尾車部屋) |
|
安治川部屋 | 2022年12月 | 安治川竜児 (安美錦竜児) |
幕内通算97場所(最高位関脇) (伊勢ヶ濱部屋) |
|
音羽山部屋 | 2023年12月 | 音羽山力三郎 (鶴竜力三郎) |
第71代横綱 (陸奥部屋) |
モンゴル出身 |
中村部屋 | 2024年6月 | 中村雅継 (嘉風雅継) |
幕内通算79場所(最高位関脇) (二所ノ関部屋) |
出身部屋は尾車部屋 |
秀ノ山部屋 | 2024年10月 | 秀ノ山和弘 (琴奨菊和弘) |
元大関 (佐渡ヶ嶽部屋) |
なお、この規定が制定されて以降木瀬部屋が2012年4月に北の湖部屋から独立、中川部屋が2017年1月に追手風部屋から独立が承認されているが、木瀬部屋は2010年5月31日の閉鎖処分の解除による再興のため[注釈 87]、中川部屋は2016年10月17日に閉鎖処分を受けて一時的に消滅した旧春日山部屋の再興のため[注釈 88][注釈 89][注釈 90]新設には当たらないとされている。
また、既存の部屋の継承に限定した要件で、現役を引退して部屋を継承したのは2例である。
部屋名 | 継承年 | 四股名 (最高位) |
条件 | 備考 |
---|---|---|---|---|
宮城野部屋 | 2004年8月 | 金親和憲 (十両2) |
関取通算24場所 | 2010年12月に15代熊ヶ谷(元幕内竹葉山)と名跡交換をして部屋の師匠から退く。 2015年10月日本相撲協会を解雇。 |
春日山部屋 | 2012年1月 | 濱錦竜郎 (前頭11) |
関取通算27場所 | 2016年10月師匠辞任勧告により春日山部屋が閉鎖となり追手風部屋へ移籍したため[注釈 91]部屋の師匠から退く。 2017年1月日本相撲協会を退職。 |
なお、部屋の師匠が停年もしくは逝去したことに伴い部屋付きの親方が師匠になる場合は条件等の制限はない。
各種部屋別記録
[編集]- 最多横綱昇進
- 出羽海部屋 8人(大錦卯一郎、栃木山守也、常ノ花寛市、武藏山武、安藝ノ海節男、千代の山雅信、佐田の山晋松、三重ノ海剛司)
- 最多幕内最高優勝
- 九重部屋 52回(北の富士勝昭10回、千代の富士貢31回、北勝海信芳8回、千代大海龍二3回)
- 元千代の山の旧九重部屋は師匠の死で消滅、独立して井筒部屋を興していた元北の富士がこれを吸収して、新九重部屋となったもので、ふたつの九重部屋は厳密には別の部屋という見方もある。同様に、千代の富士引退とともに、元北の富士は部屋を譲り、独立した八角部屋(元北勝海)に所属したので、これも別の部屋という考え方も可能になる。北の富士の10回および千代大海の3回の優勝を数えないとすれば、39回になる。そうなると、出羽海部屋の49回が最多にみえるが、出羽海部屋も、1922年6月の常陸山死去のあと、独立して入間川部屋を興していた元両国が吸収したともいえるので、常陸山時代の常陸山1回、両国1回、大錦5回、栃木山5回、常ノ花1回を減らせば36回になる。すると、白鵬1人のみで45回優勝の宮城野部屋が最多となる。
- 最多連続幕内最高優勝
- 出羽海部屋 10場所連続(大正6年1月~大正10年5月、栃木山守也5回、大錦卯一郎4回、常ノ花寛市1回)
- 九重部屋 10場所連続(昭和60年9月~昭和62年3月、千代の富士貢8回、北勝海信芳2回)
- 同一部屋力士による三賞独占(受賞者3人以上)
- 出羽海部屋(昭和24年5月、殊勲賞:千代の山雅信、敢闘賞:羽島山昌乃武、技能賞:五ツ海義男)
- 優勝も同部屋の増位山大志郎。
- 藤島部屋(平成3年5月、殊勲賞:貴花田光司、敢闘賞:安芸ノ島勝己:貴闘力忠茂、技能賞:該当者なし)
- 二子山部屋(平成5年5月、殊勲賞:若ノ花勝、敢闘賞:貴ノ浪貞博、技能賞:貴闘力忠茂)
- 優勝も同部屋の貴ノ花光司。
相撲部屋制度そのものの廃止論について
[編集]相撲部屋制度は、伝統として江戸時代から存続してきたが、次のように、相撲部屋制度そのものの廃止が提唱されたこともある。
2024年2月23日の北青鵬の暴力行為での引退を受け、フリーアナウンサーの宮根誠司は、相撲部屋での共同生活が暴力の温床になっているのではと推察し、相撲部屋制度そのものを廃止すべきであると提唱している[31]。ただ、相撲部屋制度廃止が提唱されることは歴史上初めてではなく、大正期に学生相撲の隆盛や近代スポーツの日本社会への浸透を背景に、相撲関係のジャーナリストや著名人から相撲部屋制度の廃止、弟子養成システムの合理化などの意見が出されたこともあり[32]、また「野球界」昭和3年号でも相撲部屋制度廃止論が掲載されていたが、実現には至らなかった。
相撲部屋を題材としたテレビドラマ
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 2021年の報道によると、力士養成費などが協会から支給されることが考慮されて「力士が10人いて黒字」と言われる[2]。
- ^ 2021年の『週刊ポスト』の調査によると、部屋施設の所有者が親方本人であるのは、全42部屋のうち28部屋であり、親方の親族名義の物件が2部屋、民間企業などからの賃貸が6部屋とのこと[4]。
- ^ ただし優勝決定戦では同部屋でも対戦させる。
- ^ ただし、所属していた部屋が何らかの理由で閉鎖された場合には、他の部屋への移籍を認められる。また、分家独立によって新たな部屋が創設された場合にも、希望者は新たな部屋への移籍を認められる。なお、親方については師匠の許可があれば閉鎖・独立の場合でなくても移籍は認められる。
- ^ 全員まとめて同じ部屋へ移籍するのが原則だが、平成以降は複数の部屋に分かれて移籍する例も見られるようになった(旧・田子ノ浦部屋、中川部屋、陸奥部屋など)。
- ^ 本場所中や直前に師匠が不在になった場合、師匠が急死した場合などの緊急事態においては、部屋付き親方が師匠代行を務めたり、一門の別の部屋の師匠を師匠代行としてその部屋の預かりとして、旧部屋の処遇が決まるまでの暫定措置とする場合も増えている(北の湖部屋、井筒部屋、東関部屋、錣山部屋、宮城野部屋など)。
- ^ 巡業が協会単位で行われるようになる前は、これも一門単位で行っていた。
- ^ 国技館に至近の墨田区(2024年2月時点で15部屋)や江東区(2024年2月時点で6部屋)を拠点とする部屋が多いが、それ以外の23区域内、周辺県の埼玉県や千葉県(過去には神奈川県)にも所在し、遠方では茨城県(2024年2月時点で2部屋)にもあり、過去には花籠部屋が山梨県上野原市に拠点を設けていたことがある(出稽古や相撲教習所通所に影響が出たため、数年後に墨田区へ移転した)。
- ^ 古くから神事や興行などで相撲と縁が深いことが要因となっている[6]。
- ^ 例として、2010年の木瀬部屋(一時北の湖部屋へ転籍し、2年後に再興)、2020年の中川部屋のケースがある[17]。また、2024年の宮城野部屋のケースでは部屋の閉鎖には至らなかったものの、所属の伊勢ヶ濱一門から師匠代行を定めたうえで無期限で預かる事により、事実上師匠(13代宮城野、元横綱白鵬翔)の運営・指導権を剥奪する事となった[18]。
- ^ 例として、2020年の式秀部屋のケース(女将によるパワハラ)がある[19]。女将は非協会員であるため処分が行われず、協会は成り行きを静観する措置にとどまった[20]。
- ^ 武蔵川と大島の対談では、武蔵川が「リハビリ用であってこれを主体として稽古を行うつもりはなかった。」と積極的な利用の意図が無かったことを話していた[21]。
- ^ 独立時に出羽海一門を破門となっており、高砂一門へ移籍。
- ^ a b 所属力士8人が出羽海部屋(5人)と春日野部屋(3人)へ分割移籍。
- ^ a b 年寄(3人)・行司・床山は松ヶ根部屋へ、年寄(1人)は春日野部屋へ分割移籍。
- ^ a b 力士・年寄・世話人・呼出は春日野部屋へ、床山は北の湖部屋へ分割移籍。
- ^ a b 11代木瀬の不祥事により部屋が閉鎖処分。木瀬及び所属力士は北の湖部屋へ移籍。その後処分解除にともない部屋再興。
- ^ 閉鎖処分中の北の湖部屋在籍時代に在位
- ^ a b 年寄(2人)・力士(3人)・世話人・床山は押尾川部屋へ、年寄・力士(8人)・呼出は二所ノ関部屋へ分割移籍。
- ^ 尾車部屋在籍時代に在位。
- ^ 尾車部屋在籍時代に在位。
- ^ a b c d e f g 時津風部屋(親方1人、力士2人)・友綱部屋(力士2人)・片男波部屋(力士1人、呼出1人)・宮城野部屋(力士1人、世話人1人)・朝日山部屋(力士1人)・追手風部屋(力士1人)・荒汐部屋(床山1人)・伊勢ノ海部屋(床山1人)の8部屋へ分割移籍。
- ^ a b c 年寄(1人)・行司(1人)・力士は芝田山部屋へ、年寄(1人)・行司(1人)は高田川部屋へ、行司(1人)・呼出・床山は西岩部屋へ分割移籍。
- ^ a b 力士・年寄・呼出(1人)は尾車部屋へ、呼出(2人)は大嶽部屋へ、床山は錦戸部屋へ分割移籍。
- ^ a b c d 年寄(1人)・呼出・床山・若者頭・世話人・力士(1人)は音羽山部屋へ、年寄(1人)・力士(2人)は荒汐部屋へ、年寄(1人)は追手風部屋へ、力士(1人)は伊勢ノ海部屋へ分割移籍。
- ^ ただし、1934年と1946年に一旦閉鎖したことがある。
- ^ 昇進は陸奥部屋時代。
- ^ 21代春日山の師匠不適格処分により部屋が閉鎖処分。春日山及び所属力士は追手風部屋へ移籍。その後15代中川を師匠として中川部屋として再興したが、15代中川の懲戒処分に伴う部屋閉鎖処分により中川部屋は閉鎖された。
- ^ a b 年寄・力士・世話人・床山(1人)は伊勢ヶ濱部屋へ、若者頭・呼出・床山(1人)は浅香山部屋へ分割移籍。
- ^ 年寄(17代押尾川)・力士(若兎馬、若麒麟を含む6名)・呼出(1名)
- ^ 呼出(志朗、吾郎)
- ^ 床山(1名)
- ^ 親方(8代伊勢ヶ濱)・力士(2名)・世話人(斎須)
- ^ 行司(1名)
- ^ 親方(12代荒磯)・呼出(1名)
- ^ 力士(荒鷲)
- ^ 親方(20代桐山、16代浦風)・力士(4名)・若者頭(白岩)・世話人(斎須)・呼出(2名)・床山(1名)
- ^ 行司(1名)・床山(1名)
- ^ 呼出(1名)
- ^ 力士(海龍を含む5名)
- ^ 力士(碧山を含む3名)
- ^ 親方(10代中村)・力士(飛翔富士を含む7名)・床山(1名)
- ^ 行司(1名)
- ^ これ以前も1931年に閉鎖している。
- ^ 親方(10代二所ノ関、19代北陣、13代湊川)
- ^ 親方(9代富士ヶ根)
- ^ 親方(10代三保ヶ関、12代待乳山)・力士(阿覧を含む6名)・世話人(虎伏山)・行司(1名)・呼出(2名)
- ^ 床山(1名)
- ^ 親方(18代朝日山、20代桐山)・力士(4名)・世話人(斎須)・床山(1名)
- ^ 若者頭(白岩)・呼出(1名)・床山(1名)
- ^ これ以前も1944年に閉鎖している。
- ^ 親方(15代中川)・力士(吉井を含む2人)
- ^ 力士(2人)
- ^ 力士(旭蒼天)・呼出(1名)
- ^ 力士(1人)・世話人(白法山)
- ^ 力士(1人)
- ^ 力士(1人)
- ^ 床山(1人)
- ^ 床山(1人)
- ^ 親方(7代峰崎)力士(5名)・行司(木村銀治郎)
- ^ 親方(15代花籠)・行司(木村光之助)
- ^ 行司(1名)・呼出(2名)・床山(1名)
- ^ 親方(8代尾車、22代押尾川)・力士(矢後、天風、飛燕力)・世話人(錦風)・床山(1名)
- ^ 親方(13代中村)・力士(友風を含む8名)・呼出(禄郎)
- ^ 親方(9代陸奥)・力士(2代霧島)・若者頭(福ノ里)・世話人(勇輝)・呼出(1名)・床山(床大)
- ^ 親方(17代浦風)・力士(2名)
- ^ 親方(12代立田山)
- ^ 力士(1名)
- ^ これ以前も1960年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1934年、1944年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1941年に閉鎖している。
- ^ なお、この部屋が存在している間、伊勢ヶ濱部屋は一旦閉鎖していた。
- ^ これ以前も1927年に閉鎖している。
- ^ なお、この部屋が存在している間、若松部屋は一旦閉鎖していた。
- ^ これ以前も1947年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1933年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1938年、1947年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1931年、1951年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1941年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1938年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1931年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1936年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1935年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1937年に閉鎖している。
- ^ これ以前も1933年に閉鎖している。
- ^ 2022年7月28日に先代師匠より宮城野部屋を継承したが、2024年1月に発覚した所属力士による後輩力士への暴力問題により師匠としての素養、自覚が大きく欠如しているとして2024年4月、宮城野部屋を一時閉鎖して伊勢ヶ濱部屋で師匠・親方としての指導・教育中。
- ^ 木瀬部屋の師匠である肥後ノ海直哉は幕内通算53場所で部屋新設の条件を満たしていない。
- ^ 2016年10月の閉鎖処分の際に新たな師匠が就任する場合に部屋の再興が認められることになっていた。
- ^ その後、2020年7月に中川親方の弟子への暴力行為が発覚し、理事会で部屋閉鎖処分が下されたため中川部屋は消滅。中川親方は時津風部屋へ、力士・床山・呼出・世話人は時津風部屋など8部屋へ転籍した。
- ^ 中川部屋の師匠だった旭里憲治は幕内通算4場所のため部屋新設の条件を満たしていない。
- ^ その後、追手風部屋の部屋付き親方だった15代中川(元幕内旭里)が旧春日山部屋の力士を引き取り中川部屋として再興されたが、2020年7月に15代中川の弟子への暴力行為により部屋閉鎖処分を受けて消滅した。
出典
[編集]- ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p66
- ^ 峰崎部屋と東関部屋が閉鎖 大相撲は部屋運営受難の時代に 日刊ゲンダイDIGITAL 2021/04/07 06:00 (2021年4月7日閲覧)
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)pp.110-111
- ^ 週刊ポスト2021年5月21日号
- ^ a b 大関貴景勝が“親方”の娘と婚約 相撲部屋のおかみさんとは?――2020 BEST5 Number Web 2021/01/04 11:00 (2021年1月5日閲覧)
- ^ [知る国技]地方宿舎 - 読売新聞 2023年3月26日
- ^ a b 相撲部屋の宿舎いろいろ@大阪場所 - 中日新聞・2016年3月12日
- ^ 白鵬の宮城野部屋に充実宿舎、トヨタ豊田社長計らい - 日刊スポーツ・2019年6月25日
- ^ 競馬場でお相撲さんが稽古? 馬券売り場でどすこい! - 朝日新聞デジタル 2021年3月13日
- ^ 武隈部屋がスーパー銭湯でファンと綱引きなどで交流! 新入幕の豪ノ山は「恩返ししたい」 - スポーツ報知 2023年7月1日
- ^ 飯塚市本町に二子山部屋の宿舎 玉屋グループ - ふくおか経済Web・2023年11月6日
- ^ 協会が地方場所宿舎の実態調査を開始 - nikkansports.com 2010年7月28日
- ^ 綱引き勝負で大盛り上がり 武隈部屋が名古屋場所宿舎でふれあいイベント - Sponichi Annex 2023年7月1日
- ^ 力士とのふれあいどころか『完全隔離』…2年ぶりの名古屋場所 宿舎は感染対策に苦心「目隠しする話も」 - 東海テレビNEWS 2021年6月17日
- ^ “九重部屋トップ、青森&石川県は関取輩出率1位/部屋別・出身地別データ”. 2024年2月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月25日閲覧。
- ^ “大相撲:第49代横綱・栃ノ海の花田茂広さんに聞く”. 2014年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月2日閲覧。
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- ^ 元横綱 白鵬の宮城野親方、理事会として“師匠剥奪”の厳罰「素養、自覚が大きく欠如している」 - 中日スポーツ 2024年2月23日
- ^ 式秀部屋おかみさんへの指導困難「協会員ではない」 - 日刊スポーツ 2020年8月10日
- ^ “式秀部屋が稽古再開 体調心配される親方が直接指導 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com(2020年8月12日). 2020年8月12日閲覧。
- ^ 『相撲』2012年5月号
- ^ 力士はたばこを吸ってはいけないのか? 相撲界の喫煙事情を解説 日刊スポーツ 2023年8月19日6時0分 (2023年8月19日閲覧)
- ^ 田中亮『全部わかる大相撲』(2019年11月20日発行、成美堂出版)p.19
- ^ “3密”そろう相撲部屋 一気にクラスター化する恐れも… Sponichi Annex 2020年4月11日 05:30(2020年4月11日閲覧)
- ^ “白鵬以外の宮城野部屋力士陰性、クラスター発生の荒汐部屋は休場へ”. スポニチアネックス. スポーツニッポン新聞社. 2021年3月22日閲覧。
- ^ 日本放送協会 (2021年1月19日). “大相撲 九重部屋 新たに5人が新型コロナ陽性に 計14人に”. NHKニュース. 2021年3月22日閲覧。
- ^ “幕内・宇良と十両・平戸海が新型コロナ感染 9日には幕内42人中21人の感染判明 - 大相撲 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com (2022年2月10日). 2022年2月14日閲覧。
- ^ 「大卒力士」座談会「有能な人材ほど好きに部屋を選べない!」(1/2ページ) SmartFLASH 2018.02.18 06:00 (週刊FLASH 2018年1月30日号、2021年12月20日閲覧)
- ^ “相撲部屋継、新設には理事会の承認が必要に”. スポニチアネックス (スポーツニッポン新聞社). (2011年9月30日) 2016年1月21日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b 日刊スポーツ 2017年3月4日
- ^ 宮根誠司 北青鵬の暴力行為を受け角界にプロアスリート化へのススメ「共同生活なくさないとダメ」 Yahoo!ニュース 2024年2月26日(月) 20:47配信
- ^ 「外地」と相撲
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 相撲部屋のご紹介 - 日本相撲協会