鴨緑江渡右衛門
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鴨緑江 渡右衛門(おうりょくこう わたえもん、1866年3月17日(慶応2年2月1日) - 1938年(昭和13年)3月19日)は、武蔵川部屋の元大相撲力士。第12代武蔵川。本名は田岡熊三郎、のち吉岡に改姓。最高位幕下4枚目。
略歴
[編集]阿波国三好郡、のちの三加茂町三庄(現在の徳島県三好郡東みよし町)出身。広島工兵隊を経て、1892年に武蔵川に入門し、熊響の四股名で三段目まで進む。1894年に日清戦争に召集され、工兵として朝鮮半島の鴨緑江で軍橋の守備に当たり戦功を挙げ、力士であることを知った司令官から感状をもらい「以後シコ名を鴨緑江と改名すべし」と命ぜられたといい、凱旋後に鴨緑江と改名する。1904年10月には日露戦争にも応召し、満州各地を戦った功績をもって勲八等瑞宝章を授与された。
師匠武蔵川(元大関剣山)の死去により、1911年2月年寄武蔵川二枚鑑札となり、1916年1月限り満49歳で引退し、年寄専務となった。
謹厳実直な人柄で人望があり、相撲記者倶楽部係として新聞記者たちから慕われた[1]。まじめな物固い人であったという[2]。
1931年から1933年までは中川部屋(元・鬼鹿毛)の力士を引き取って武蔵川部屋を経営していた。
13代武蔵川でのちに理事長となった出羽ノ花は引退の際若者頭を打診されたが、鴨緑江の遺族より名跡を譲られて、武蔵川を襲名したという。
土俵歴
[編集]場所別成績
[編集]春場所 | 夏場所 | |
---|---|---|
1896年 | 西三段目下位 | 東三段目9枚目 |
1897年 | 東三段目13枚目 | |
1898年 | ||
1899年 | 西三段目6枚目 | 西三段目筆頭 |
1900年 | 西三段目5枚目 | 東三段目7枚目 |
1901年 | 東三段目 | 西三段目 |
脚注
[編集]- ^ 『大相撲名力士風雲録 第13号』相撲部屋物語 武蔵川部屋 30 - 31ページ
- ^ 前原太郎. "呼出し太郎一代記". 庄之助. 2022年10月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月14日閲覧。
- ^ 明治33年1月場所番付 - 右から5番目に鴨緑江の名が見える。
参考文献
[編集]- Imgur. “明治32年5月場所番付” (英語). Imgur. 2019年10月4日閲覧。 - 最も右に熊響の名が見える。
- 『ベースボール・マガジン社分冊百科シリーズ 月刊DVDマガジン 大相撲名力士風雲録 第13号』ベースボール・マガジン社、2017年1月5日
- 藤井喬『阿波人物誌』原田印刷出版、1973年8月