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矢筈山登

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
矢筈山 登
基礎情報
四股名 矢筈山 → 海山 → 矢筈山 登
本名 西田 亀吉
生年月日 1888年12月27日
没年月日 (1963-04-07) 1963年4月7日(74歳没)
出身 高知県高岡郡佐川町
身長 182cm
体重 113kg
BMI 34.11
所属部屋 友綱部屋
得意技 突っ張り、叩き、左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位小結
生涯戦歴 77勝88敗17休5分預[1](37場所)
幕内戦歴 63勝82敗17休3分預(16場所)
優勝 十両優勝1回
データ
初土俵 1908年1月場所
入幕 1918年5月場所
引退 1926年1月場所
引退後 年寄友綱二枚鑑札
備考
2019年8月6日現在

矢筈山 登(やはずやま のぼる、1888年12月27日 - 1963年4月7日)は、現在の高知県高岡郡佐川町出身で友綱部屋に所属した力士。本名は西田 亀吉。身長182cm、体重113kg。最高位は東小結。得意技は突っ張り、叩き、左四つ、寄り。現役時代から7代友綱を襲名し、友綱部屋を経営、後進の指導につとめた。

来歴

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農家の三男で子供の時から体格が大きく、宮相撲で活躍して同郷の板垣 退助に見出されて1907年の暮れに入門。1908年1月初土俵、1912年1月新十両。一時幕下に低迷していた時期もあったが、1918年5月新入幕を果たす。体格力量に恵まれ、土俵際の変化も巧かったが勝ち味が遅いのが欠点だった。1921年に師匠の6代友綱初代海山)が廃業したために以降は二枚鑑札となり、1922年1月小結に昇進、この場所5勝4敗1分の成績で翌場所も小結に留まったが3勝7敗と負け越し、以後小結に復帰しなかった。1926年1月引退。友綱部屋から幕内寶川政治天城山猪太夫を育てた。しかし矢筈山の部屋継承には兄弟弟子達が猛反発したようであり、敷嶌は内弟子を連れて熊ヶ谷部屋を、土州山二子山部屋黒瀬川谷川部屋をそれぞれ創設。結果として、太刀山の引退以降斜陽化した部屋の勢いはますます衰えていった。部屋は1946年に閉鎖され、その後は立浪部屋所属の年寄として後進の指導にあたり、1961年1月に定年退職。1963年に死去。養女2人のうち姉は巴潟誠一(のち8代友綱)、妹は一錦周之助(のち9代友綱、魁輝薫秀の義父)に嫁いだ[2]

主な成績

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  • 通算成績:77勝88敗17休5分預 勝率.467[1]
  • 幕内成績:63勝82敗17休3分預 勝率.434
  • 現役在位:37場所
  • 幕内在位:16場所
  • 三役在位:2場所(小結2場所)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1918年1月場所)

場所別成績

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矢筈山 登
春場所 夏場所
1908年
(明治41年)
(前相撲) 東序ノ口13枚目
 
1909年
(明治42年)
西序二段30枚目
 
東三段目45枚目
 
1910年
(明治43年)
西三段目10枚目
 
西三段目24枚目
 
1911年
(明治44年)
東幕下48枚目
 
東幕下17枚目
 
1912年
(明治45年)
西十両7枚目
1–0 
東十両15枚目
1–1
1預
 
1913年
(大正2年)
西十両12枚目
1–3
1預
 
西幕下5枚目
0–3 
1914年
(大正3年)
東幕下23枚目
 
西幕下19枚目
 
1915年
(大正4年)
東幕下31枚目
 
西幕下24枚目
 
1916年
(大正5年)
西幕下23枚目
 
東幕下14枚目
2–3 
1917年
(大正6年)
東幕下25枚目
 
東十両11枚目
3–2 
1918年
(大正7年)
西十両5枚目
優勝
8–0
西前頭11枚目
2–8 
1919年
(大正8年)
西前頭13枚目
5–5 
西前頭4枚目
5–5 
1920年
(大正9年)
西前頭7枚目
4–6 
東前頭9枚目
6–4 
1921年
(大正10年)
東前頭4枚目
3–7 
西前頭12枚目
8–2 
1922年
(大正11年)
西小結
5–4
1引分
 
東小結
3–7 
1923年
(大正12年)
西前頭4枚目
2–7
1引分
 
東前頭11枚目
6–5 
1924年
(大正13年)
東前頭6枚目
2–8 
西前頭13枚目
4–1–6 
1925年
(大正14年)
西前頭12枚目
6–5 
東前頭8枚目
2–8
1引分
 
1926年
(大正15年)
東前頭14枚目
引退
0–0–11
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)
  • 幕下以下の地位は小島貞二コレクションの番付実物画像による。

改名

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  • 矢筈山 亀吉(やはずやま かめきち)1908年1月場所 - 1911年1月場所
  • 海山 太郎(かいざん たろう)1911年6月場所 - 1914年1月場所
  • 矢筈山 太郎(やはずやま たろう)1914年5月場所 - 1916年1月場所
  • 矢筈山 登(やはずやま のぼる)1916年5月場所 - 1926年1月場所

参考文献

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  • 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

脚注

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  1. ^ a b 勝敗数等及び勝率は便宜上幕内と十両の合計を示す。他に幕下15枚目以内の2勝6敗の記録がある。
  2. ^ ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(4) 立浪部屋』p40

関連項目

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外部リンク

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