1926年の相撲
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1926年の相撲(1926ねんのすもう)は、1926年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
[編集]1月場所より賜杯授与を開始。吸収合併で消滅する大阪相撲は最後の3月場所を台湾で実施、終了後に更に島内で8日間巡業を行った[1]。
大坂相撲からの力士の技量審査として東西合同の場所が開かれ、その結果が翌1927年1月場所の番付に反映された。
台覧相撲
[編集]- 1月20日 - 両国国技館にて、恒徳王、永久王、李堈が1月場所7日目を台覧[1]。
- 1月24日 - 両国国技館にて、邦英王、孚彦王、正彦王が1月場所千秋楽を台覧[1]。
- 5月23日 - 両国国技館にて、孚彦王、正彦王、邦英王、永久王が5月場所千秋楽を台覧[2]。
本場所
[編集]- 1月場所(大阪相撲)[1]
- 興行場所:台北
- 1月13日より10日間興行
- 1月場所(東京相撲)[3]
- 第1回東西連盟大相撲(後半)[4]
- 興行場所:大阪市扇町公演
- 3月12日より晴天11日間興行
- 5月場所(東京相撲)[5]
- 興行場所:両国国技館
- 5月13日より11日間興行
- 118対75で西方勝利。旗手は大蛇山酉之助。個人優勝も大蛇山。
- 第2回東西連盟大相撲[6]
その他相撲披露
[編集]- 11月2日-3日 - 明治神宮体育大会選士権競技 - 優勝は常ノ花寛市[7]。
誕生
[編集]- 1月1日 - 鳴門海一行(最高位:前頭筆頭、所属:春日野部屋、+ 2010年【平成22年】)[8]
- 1月8日 - 筑後山一政(最高位:十両2枚目、所属:立浪部屋、+ 1978年【昭和53年】)
- 2月5日 - 星甲良夫(最高位:前頭4枚目、所属:井筒部屋、+ 2000年【平成12年】)[9]
- 3月10日 - 白龍山慶祐(最高位:前頭12枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1968年【昭和43年】)[10]
- 3月27日 - 神雷龍之助(最高位:十両12枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 1984年【昭和59年】)
- 4月28日 - 津軽冨士節三(最高位:十両13枚目、所属:高嶋部屋)
- 5月5日 - 秀湊忠司(最高位:前頭17枚目、所属:出羽海部屋、+ 1995年【平成7年】)[11]
- 5月20日 - 梅錦寅之介(最高位:前頭20枚目、所属:高嶋部屋、+ 1977年【昭和52年】)[12]
- 5月28日 - 泉州山久義(最高位:十両2枚目、所属:春日野部屋)
- 6月2日 - 千代の山雅信(第41代横綱、所属:出羽海部屋、+ 1977年【昭和52年】)[13]
- 6月8日 - 櫻國輝男(最高位:前頭11枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋→荒磯部屋、+ 没年不明)[10]
- 6月19日 - 大内山平吉(最高位:大関、所属:双葉山道場→時津風部屋、+ 1985年【昭和60年】)[14]
- 8月30日 - 赤城山晃(最高位:十両10枚目、所属:双葉山道場→時津風部屋、+ 1990年【平成2年】)
- 12月7日 - 7代式守錦之助(元・三役格行司、所属:浦風部屋→伊勢ヶ濱部屋、+ 1995年【平成7年】)
死去
[編集]- 4月5日 - 梅ノ花市五郎(最高位:前頭4枚目、所属:雷部屋、* 1887年【明治20年】)[15]
- 5月30日 - 槍ヶ嶽峯五郎(最高位:前頭9枚目(現役没)、所属:熊ヶ谷部屋→出羽海部屋、* 1896年【明治29年】)[16]
- 6月28日 - 狭布里錦太夫(最高位:前頭3枚目、所属:伊勢ノ海部屋、* 1859年【安政6年】)
- 8月5日 - 桂山勘五郎(最高位:前頭6枚目、所属:尾車部屋、* 1882年【明治15年】)[17]
- 12月11日 - 福柳伊三郎(最高位:関脇(現役没)、所属:出羽海部屋、* 1893年【明治26年】)[18]
- 12月23日 - 大岬伝左衛門(最高位:十両筆頭、所属:二十山部屋、* 1893年【明治26年】)
- 12月30日 - 初代海山太郎(最高位:前頭筆頭、所属:玉垣部屋、* 1854年【嘉永7年】)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 酒井, p. 378.
- ^ 酒井, p. 383.
- ^ 酒井, pp. 375–378.
- ^ 酒井, pp. 378–378.
- ^ 酒井, pp. 380–383.
- ^ 酒井, pp. 383–384.
- ^ 酒井, p. 384.
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 124頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 139頁
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 129頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 138頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 120頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 112頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 121頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 19頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 54頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 21頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 44頁
参考文献
[編集]- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。