白龍山慶祐
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基礎情報 | ||||
四股名 | 両邦山 慶祐 → 白龍山 慶祐 | |||
本名 | 金子 寅男 | |||
生年月日 | 1926年3月10日 | |||
没年月日 | 1968年8月25日(42歳没) | |||
出身 | 秋田県雄勝郡雄勝町(現在の湯沢市) | |||
身長 | 176cm | |||
体重 | 109kg | |||
BMI | 35.19 | |||
所属部屋 | 荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋) | |||
得意技 | 右四つ、寄り、内無双 | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭12枚目 | |||
生涯戦歴 | 361勝394敗11休(58場所) | |||
幕内戦歴 | 57勝89敗4休(10場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1941年1月場所 | |||
入幕 | 1951年5月場所 | |||
引退 | 1960年1月場所 | |||
備考 | ||||
2019年7月26日現在 |
白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日 - 1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は金子 寅男(かねこ とらお)。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、寄り、内無双。
来歴・人物
[編集]14歳の時に上京し、同郷の元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。
「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。
だが、怪我もあって1年も経たない内に幕下へ逆戻りし、暫くはこの地位に居座ってしまった。
そこで験直しも兼ねて、1949年10月場所より「白龍山」と改名。これが奏功したのか、翌年9月場所で十両復帰を果たし、更に1951年5月場所では新入幕の宿願も果たした。
右四つからの寄りや内無双を得意としたが、取り口は地味で、勝ち味も遅かったため幕内上位には進めなかった。美男力士として知られた。
1958年1月場所を最後に幕内から遠ざかり、以後は長く十両に在ったが、東十両尻(18枚目)まで陥落して途中休場した1960年1月場所を以って廃業。
廃業後は愛知県豊田市に移住し、同地で相撲料理の店を営んだという。
1968年8月25日、逝去。42歳没。
主な戦績
[編集]- 通算成績:361勝394敗11休 勝率.478
- 幕内成績:57勝89敗4休 勝率.390
- 現役在位:58場所
- 幕内在位:10場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1954年9月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1941年 (昭和16年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | x | x |
1942年 (昭和17年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | x | x |
1943年 (昭和18年) |
東序ノ口29枚目 5–3 |
x | 東序二段60枚目 4–4 |
x | x | x |
1944年 (昭和19年) |
東序二段42枚目 5–3 |
x | 西序二段10枚目 2–3 |
x | x | 東序二段23枚目 2–3 |
1945年 (昭和20年) |
x | x | 西三段目27枚目 – 兵役 |
x | x | 三段目 5–0 |
1946年 (昭和21年) |
x | x | x | x | x | 西幕下17枚目 4–3 |
1947年 (昭和22年) |
x | x | 西幕下12枚目 4–1 |
x | x | 西十両12枚目 4–7 |
1948年 (昭和23年) |
x | x | 西十両14枚目 3–8 |
x | 西幕下4枚目 2–4 |
x |
1949年 (昭和24年) |
西幕下7枚目 7–5 |
x | 東幕下筆頭 6–9 |
x | 東幕下4枚目 7–8 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東幕下5枚目 8–7 |
x | 西幕下2枚目 9–6 |
x | 東十両12枚目 9–6 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東十両5枚目 10–5 |
x | 西前頭21枚目 5–10 |
x | 東十両3枚目 7–8 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東十両4枚目 6–9 |
x | 東十両8枚目 8–7 |
x | 西十両6枚目 8–7 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東十両6枚目 5–10 |
東十両13枚目 7–8 |
東十両15枚目 8–7 |
x | 西十両12枚目 8–7 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東十両11枚目 8–7 |
西十両5枚目 8–7 |
東十両3枚目 6–9 |
x | 西十両6枚目 優勝 12–3 |
x |
1955年 (昭和30年) |
西前頭15枚目 4–8–3[1] |
東十両筆頭 8–7 |
東前頭20枚目 8–7 |
x | 西前頭16枚目 6–9 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西前頭20枚目 9–6 |
西前頭12枚目 5–9–1[2] |
東前頭19枚目 4–11 |
x | 東十両3枚目 6–5–4 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東十両4枚目 8–7 |
西十両3枚目 8–7 |
東十両2枚目 10–5 |
x | 西前頭19枚目 7–8 |
西前頭19枚目 6–9 |
1958年 (昭和33年) |
東前頭21枚目 3–12 |
西十両4枚目 3–12 |
西十両13枚目 8–7 |
西十両12枚目 5–10 |
東十両17枚目 8–7 |
西十両15枚目 6–9 |
1959年 (昭和34年) |
西十両18枚目 8–7 |
東十両18枚目 9–6 |
東十両9枚目 7–8 |
西十両9枚目 6–9 |
東十両11枚目 7–8 |
東十両12枚目 6–9 |
1960年 (昭和35年) |
東十両18枚目 引退 3–9–3 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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愛宕山 | 0 | 1 | 安念山 | 0 | 1 | 泉洋 | 2 | 5 | 岩風 | 0 | 2 |
大起 | 1 | 2 | 大田山 | 2 | 0 | 大ノ海 | 1 | 0 | 大昇 | 1 | 2 |
大晃 | 0 | 5 | 小城ノ花 | 0 | 2 | 小野錦 | 1 | 2 | 大蛇潟 | 1 | 0 |
海山 | 2 | 1 | 甲斐ノ山 | 1 | 0 | 神生山 | 1 | 0 | 神錦 | 1 | 2 |
清恵波 | 3 | 1 | 鬼竜川 | 1 | 1 | 国登 | 1 | 1 | 鯉ノ勢 | 0 | 1 |
琴ヶ濱 | 1 | 0 | 琴錦 | 0 | 1 | 潮錦 | 0 | 1 | 信夫山 | 0 | 1 |
嶋錦 | 2 | 0 | 清水川 | 1 | 2 | 高錦 | 1 | 1 | 楯甲 | 1 | 0 |
玉ノ海 | 0 | 1 | 常ノ山 | 0 | 3 | 鶴ヶ嶺 | 0 | 1 | 出羽錦 | 0 | 2 |
出羽ノ花 | 0 | 5 | 出羽湊 | 3 | 1 | 時錦 | 1 | 2 | 栃光 | 1 | 0 |
鳴門海 | 0 | 4 | 成山 | 1 | 0 | 羽嶋山 | 0 | 1 | 緋縅 | 1 | 1 |
秀湊 | 2 | 1 | 平鹿川 | 1 | 2 | 平ノ戸 | 1 | 2 | 福ノ海 | 0 | 1 |
二瀬山 | 1 | 1 | 双ツ龍 | 1 | 1 | 星甲 | 3 | 2(1) | 前ノ山(佐田岬) | 0 | 3 |
増巳山 | 0 | 1 | 三根山 | 1 | 0 | 宮城海 | 0 | 1 | 宮錦 | 2 | 2 |
八染 | 1 | 3 | 吉井山 | 3 | 1 | 神若 | 1 | 0 | 芳野嶺 | 1 | 2 |
米川 | 0 | 1 | 若羽黒 | 1 | 1 | 若前田 | 0 | 3(1) |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。
改名歴
[編集]- 両邦山 慶祐(りょうほうざん よしひろ、1943年1月場所-1949年5月場所)
- 白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1949年10月場所-1960年1月場所)
脚注
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年)