楯甲幸男
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基礎情報 | ||||
四股名 | 能嶋城 → 今大嶋 幸男 → 楯甲 幸男 | |||
本名 | 南 幸男 | |||
生年月日 | 1924年10月27日 | |||
没年月日 | 2002年5月28日(77歳没) | |||
出身 | 愛媛県今治市宮窪町 | |||
身長 | 170cm | |||
体重 | 140kg | |||
BMI | 48.44 | |||
所属部屋 | 中村部屋 | |||
得意技 | 左四つ、寄り、押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭18枚目 | |||
生涯戦歴 | 293勝297敗25休(50場所) | |||
幕内戦歴 | 15勝30敗(3場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1942年1月場所 | |||
入幕 | 1954年3月場所 | |||
引退 | 1958年7月場所 | |||
引退後 | 会社員 | |||
備考 | ||||
2019年7月24日現在 |
楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1924年10月27日 - 2002年5月28日)は、愛媛県越智郡宮窪町(現役当時、現・同県今治市宮窪町)大字宮窪出身で中村部屋に所属した大相撲力士。本名は南 幸男(みなみ さちお)。最高位は西前頭18枚目(1955年9月場所)。現役時代の体格は170cm、140kg。得意手は左四つ、寄り、押し。
来歴・人物
[編集]17歳の時に中村部屋へ入門し、1942年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初の四股名は、「能嶋城」であった。
三段目時代の1945年夏、徴兵され、短期間ながら日本軍の一員として第二次世界大戦に参加。戦場から帰還後は徐々に番付を上げ、1951年1月場所で新十両に昇進した。この頃は、「今大嶋」と名乗っていた。
西十両15枚目に在った1952年5月場所では、12勝3敗と大勝ちし、十両優勝を遂げている。新入幕を果たしたのは1954年3月場所での事で、初土俵から12年2ヶ月を要した。なお、入幕に先立って、当時の師匠(元前頭筆頭・楯甲新蔵)の現役名をそのまま襲名して「楯甲」へと改名している。
左四つからの寄りや押しを得意としたが、極度の近視だった事もあってか、速攻相撲の力士には苦戦したという。幕内には計3度昇進したが、1度も勝ち越す事ができなかった。
二所ノ関一門の巡業では初っ切りを担当したり、相撲甚句を詠んでいた事がある。大食で知られ、ある時寿司の大食い大会を行った際に93個で2位だったが、「その前に餅を15個食わなければよかった」と悔やんだという逸話がある。
現役晩年は幕下26枚目まで陥落し、1958年7月場所後、33歳で廃業。
その後は日立造船に勤務する傍ら、同社の相撲部の指導にも当たった。
主な戦績
[編集]- 通算成績:293勝297敗25休 勝率.497
- 幕内成績:15勝30敗 勝率.333
- 現役在位:50場所
- 幕内在位:3場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1952年5月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1942年 (昭和17年) |
(前相撲) | x | 西序ノ口17枚目 3–5 |
x | x | x |
1943年 (昭和18年) |
西序ノ口3枚目 5–3 |
x | 東序二段43枚目 4–4 |
x | x | x |
1944年 (昭和19年) |
西序二段32枚目 5–3 |
x | 東三段目46枚目 3–2 |
x | x | 東三段目25枚目 0–0–5 |
1945年 (昭和20年) |
x | x | x | x | x | 三段目 5–0 |
1946年 (昭和21年) |
x | x | x | x | x | 西幕下18枚目 3–4 |
1947年 (昭和22年) |
x | x | 西幕下28枚目 3–2 |
x | x | 西幕下17枚目 3–3 |
1948年 (昭和23年) |
x | x | 東幕下15枚目 3–3 |
x | 東幕下16枚目 3–3 |
x |
1949年 (昭和24年) |
西幕下13枚目 5–7 |
x | 西幕下17枚目 7–8 |
x | 東幕下18枚目 11–4 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東幕下4枚目 8–7 |
x | 西幕下筆頭 8–7 |
x | 東幕下筆頭 9–6 |
x |
1951年 (昭和26年) |
西十両11枚目 6–9 |
x | 西十両16枚目 9–6 |
x | 西十両8枚目 6–9 |
x |
1952年 (昭和27年) |
東十両11枚目 6–9 |
x | 西十両15枚目 優勝 12–3 |
x | 東十両6枚目 9–6 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東十両4枚目 7–8 |
東十両5枚目 9–6 |
西十両2枚目 7–8 |
x | 西十両3枚目 8–7 |
x |
1954年 (昭和29年) |
西十両2枚目 9–6 |
西前頭20枚目 5–10 |
西十両3枚目 4–11 |
x | 西十両8枚目 6–9 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東十両12枚目 9–6 |
西十両6枚目 10–5 |
西十両筆頭 9–6 |
x | 西前頭18枚目 6–9 |
x |
1956年 (昭和31年) |
西十両筆頭 9–6 |
西前頭21枚目 4–11 |
東十両6枚目 3–7–5 |
x | 東十両18枚目 7–8 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東十両19枚目 8–7 |
西十両15枚目 8–7 |
西十両13枚目 5–10 |
x | 西十両21枚目 8–7 |
東十両18枚目 8–7 |
1958年 (昭和33年) |
西十両18枚目 6–9 |
西十両23枚目 2–13 |
西幕下10枚目 0–1–7 |
西幕下26枚目 引退 0–0–8 |
x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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東海 | 1 | 0 | 泉洋 | 0 | 2 | 大瀬川 | 0 | 1 | 大起 | 0 | 1 |
大昇 | 1 | 0 | 大晃 | 0 | 1 | 大蛇潟 | 0 | 1 | 神錦 | 0 | 1 |
起雲山 | 0 | 1 | 鬼竜川 | 0 | 1 | 櫻國 | 0 | 1 | 潮錦 | 1 | 0 |
嶋錦 | 1 | 0 | 清水川 | 0 | 1 | 常ノ山 | 0 | 1 | 鶴ヶ嶺 | 0 | 1 |
出羽ノ花 | 2 | 1 | 豊登 | 0 | 1 | 七ッ海 | 1 | 0 | 鳴門海 | 0 | 1 |
白龍山 | 0 | 1 | 緋縅 | 0 | 1 | 秀湊 | 1 | 0 | 平鹿川 | 0 | 1 |
平ノ戸 | 0 | 1 | 広瀬川 | 0 | 1 | 福ノ里 | 0 | 1 | 二瀬山 | 1 | 1 |
星甲 | 0 | 1 | 前ノ山(佐田岬) | 1 | 0 | 宮錦 | 0 | 1 | 吉井山 | 0 | 2 |
芳野嶺 | 1 | 0 | 若羽黒 | 0 | 2 |
改名歴
[編集]- 能嶋城(のじまじょう、1942年5月場所-1949年1月場所)
- 今大嶋 幸男(いまおおしま さちお、1949年5月場所-1952年9月場所)
- 楯甲 幸男(たてかぶと さちお、1953年1月場所-1958年7月場所)
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊、1990年)