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中村部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中村部屋(なかむらべや)は、日本相撲協会所属で二所ノ関一門相撲部屋。この記事では、かつて存在した同名の相撲部屋についても説明する。

歴史

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現役時代は尾車部屋に所属した元関脇・嘉風は、2019年(令和元年)9月場所中に現役を引退し、年寄・13代中村を襲名した[1]。引退・年寄襲名当初は尾車部屋付きであったが、13代中村の師匠である8代尾車の停年に伴って2022年(令和4年)2月7日に尾車部屋が閉鎖されたため、13代は力士8人、呼出1人と共に同じ一門の二所ノ関部屋に転籍した[2]

それから2年が経過した2024年(令和6年)5月30日に開かれた日本相撲協会の理事会で、13代が二所ノ関部屋から幕内・友風、前日に新十両が決定した幕下・嘉陽ら力士8人、呼出・床山各1人を連れて、同年6月1日付で中村部屋を創設することが承認された[3]。中村部屋所属となる力士は2022年に尾車部屋から二所ノ関部屋へ13代と共に転籍した力士が中心だが、二所ノ関部屋で初土俵を踏んだ力士でも前述した嘉陽ら2人が中村部屋へ転籍する一方で、尾車部屋に入門した力士でも麒麟龍は中村部屋に転籍せず二所ノ関部屋に残留した[4]

部屋創設直後から、1日3食、ぶつかり稽古無しで四つに組み合った状態で始める申し合い、酸素カプセルの導入など、相撲界の伝統に拘らない指導法で話題を集めた[5]

所在地

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師匠

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  • 13代:中村雅継(なかむら まさつぐ、関脇・嘉風、大分

力士

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現役の関取経験力士

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旧・中村部屋

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1962年までは二所ノ関一門、平成期には高砂一門の所属だった。

第1期二所ノ関一門

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もともとは大坂相撲の名跡で、1927年の東西協会合併の折には4代中村が中村部屋を経営していた。1930年代なかばに、二所ノ関一門に合流した。4代中村は幕内・楯甲新蔵を育てた。

楯甲は引退後に年寄・5代中村を襲名して中村部屋を継承し、幕内・楯甲幸男などを育てたが、1962年6月を最後に中村部屋は閉鎖され、所属力士は二所ノ関部屋へ移籍した。この時に移籍した力士の中にはのちの前頭・大文字や十両・天山がいた。

師匠

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  • 初代:侠客・中村芝吉
  • 2代:中村(小松山)
  • 3代:中村(前1・小若島)
  • 4代:中村(十9・葭ノ浦)
  • 5代:中村(前1・楯甲、大阪)

力士

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幕内
十両

高砂一門

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概要

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1985年(昭和60年)3月場所に引退してから高砂部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた年寄・10代中村(元関脇富士櫻)が、1986年5月場所後に高砂部屋から分家独立して部屋を創設した。

以降、学生出身者と外国人は入門させない、入門から一定期間過ぎても芽の出ない力士は引退させて第二の人生を歩ませる、中学卒の力士には山梨県の日本航空高等学校の通信課程を履修させて高校卒業の資格を得られるようにするなどといった独自の方針を掲げての部屋運営を行い、4名の関取彩豪須磨ノ富士一の谷飛翔富士)を輩出したものの、幕内力士を出すことはできなかった。前述の日本航空高等学校通信制課程とのプロジェクトでは、2006年3月に7名の力士が卒業証書を手にした。

部屋の女将である中澤嗣子は、女将業と並行して東洋英和女学院大学大学院で相撲部屋の経営や指導法をテーマとして論文を執筆し、修士号を得た[7]。研究の成果を基に2004年に『相撲部屋24時おかみさん奮戦記』(講談社ISBN 4-06-272254-2)という著書を発表した。

10代の停年退職を約1年後に控えた2012年1月場所前の時点で、同年11月場所を最後に部屋を閉鎖して所属力士らが東関部屋へ転籍することが決定され、同年11月18日に行われた日本相撲協会臨時理事会において、10代と所属力士と床山は東関部屋へ、行司は八角部屋へとそれぞれ同年12月19日付で正式に転籍することが認められ、正式に部屋は閉鎖された。10代は2013年2月8日に停年を迎えている。また、部屋の施設は2013年4月に15代武蔵川(元横綱・武蔵丸)が興した武蔵川部屋に受け継がれた。

師匠

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  • 10代:中村 榮男(なかむら よしお、関脇・富士櫻、山梨)

力士

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十両

脚注

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  1. ^ 関取最年長37歳・嘉風が引退 小さな体で真っ向勝負「敢闘精神あふれる力士」常連」『スポーツ報知』2019年9月13日。2024年5月30日閲覧。
  2. ^ 尾車部屋力士の転属先決まる 尾車親方、十両矢後ら新設の押尾川部屋へ転属」『日刊スポーツ』2024年5月30日。2024年5月30日閲覧。
  3. ^ 元嘉風の中村親方が独立 二所ノ関部屋から幕内友風含む力士8人ら転属」『デイリースポーツ』2024年5月30日。2024年5月30日閲覧。
  4. ^ 元嘉風の中村親方が独立 二所ノ関部屋から友風ら力士8人転籍 前日に新十両昇進会見の嘉陽も」『スポニチアネックス』2024年5月30日。2024年5月30日閲覧。
  5. ^ 元嘉風・中村部屋の“脱・伝統稽古” 1日3食、ぶつかり稽古なし、酸素カプセル 友風「理にかなっている」 2024年6月19日 5時0分スポーツ報知 (2024年6月21日閲覧)
  6. ^ 佐々木一郎『稽古場物語』165頁、陸奥部屋の項。
  7. ^ 朝日新聞2003年5月11日付朝刊一面及び第2社会面

関連項目

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  • HIRO (お笑い芸人) - 平成期の中村部屋に所属した力士であった。廃業時の四股名は和歌桜康幸。

外部リンク

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