コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大蛇潟金作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大蛇潟 金作
基礎情報
四股名 十文字 金作 → 矢留石 金作 → 大蛇潟 金作
本名 斎藤 金作
生年月日 1919年5月20日
没年月日 (1986-03-21) 1986年3月21日(66歳没)
出身 秋田県平鹿郡平鹿町(現役当時、現在の同県横手市
身長 179cm
体重 120kg
BMI 37.45
所属部屋 錦島部屋
得意技 左四つ、寄り
成績
現在の番付 引退
最高位 西前頭筆頭
生涯戦歴 305勝334敗14休 (57場所)
幕内戦歴 214勝257敗14休 (33場所)
敢闘賞1回
データ
初土俵 1937年1月場所
入幕 1948年5月場所
引退 1957年11月場所
引退後 年寄・→同・北陣
備考
金星1個(鏡里1個)
2019年7月13日現在

大蛇潟 金作(おろちがた きんさく、1919年5月20日 - 1986年3月21日)は、秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身で錦島部屋に所属した大相撲力士。本名は斎藤 金作(さいとう きんさく)。最高位は西前頭筆頭(1954年1月場所)。現役時代の体格は179cm、120kg。得意手は左四つ、寄り。引退後は、一時期年寄として日本相撲協会に在籍していた。

来歴

[編集]

17歳の時に上京して錦島部屋へ入門し、1937年1月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口に付いた時の四股名は、「十文字」。

間も無く、「矢留石(やとめいし)」に四股名を改め、1944年1月場所にて十両昇進を果たした。その後一時期幕下に陥落したものの、1947年6月場所で十両に復帰した際に錦島部屋ゆかりの「大蛇潟」と改名してからは上昇気流に乗り、1948年5月場所に於いて新入幕を果たした。入門も遅かったこともあり、すでに29歳となっていた。相撲振りも、左四つからの寄りを得意としたが、やや攻めが遅い取り口であったこともゆっくりした昇進と関係したかもしれない。

新入幕の場所では終盤まで優勝争いに加わり、9勝2敗と好成績を収め、敢闘賞を受賞した。翌1948年10月場所では膝を痛めて途中休場し、それが最後まで影響して三役昇進は叶わなかった。それでも1954年1月場所では最高位となった西前頭筆頭まで番付を上げ、この場所では3勝12敗と大きく負け越したものの、翌3月場所では10日目に横綱鏡里を巻き落としで破って生涯唯一の金星を獲得した。この時、すでに35歳となっていた。

その後もまじめな土俵態度を続け、1957年9月場所、十両に陥落したところで休場、翌11月場所限りで引退した。38歳まで現役を務めた、長持ち力士であった。

性格は礼儀正しく温厚であり、付け人が財布から2万円を抜き取った時も怒らずさらに余分な金を与えたので、その付け人が泣いて更生を誓ったというエピソードもある。

引退後は、年寄・から同・北陣を襲名した。しかし、まもなく廃業し、以後は旅館を経営していた。

1986年3月21日、肝臓癌のため東京都千代田区内の病院で逝去。享年66。

主な成績・記録

[編集]
  • 通算成績:305勝334敗14休 勝率.477
  • 幕内成績:214勝257敗14休 勝率.454
  • 現役在位:57場所
  • 幕内在位:33場所
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1948年5月場所)
  • 金星:1個(鏡里1個)

場所別成績

[編集]
大蛇潟 金作
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1937年
(昭和12年)
(前相撲) x (前相撲) x x x
1938年
(昭和13年)
西序ノ口20枚目
2–5 
x 東序二段45枚目
4–3 
x x x
1939年
(昭和14年)
西序二段2枚目
1–6 
x 東序二段34枚目
5–3 
x x x
1940年
(昭和15年)
西三段目62枚目
5–3 
x 西三段目33枚目
3–5 
x x x
1941年
(昭和16年)
西三段目39枚目
4–4 
x 東三段目22枚目
6–2 
x x x
1942年
(昭和17年)
西幕下34枚目
4–4 
x 西幕下30枚目
5–3 
x x x
1943年
(昭和18年)
東幕下18枚目
5–3 
x 西幕下10枚目
7–1 
x x x
1944年
(昭和19年)
東十両11枚目
7–8 
x 西十両10枚目
7–3 
x x 西十両3枚目
2–8 
1945年
(昭和20年)
x x 西十両12枚目
1–6 
x x 西幕下5枚目
2–3 
1946年
(昭和21年)
x x x x x 東幕下7枚目
5–2 
1947年
(昭和22年)
x x 西十両13枚目
8–2 
x x 西十両筆頭
8–3 
1948年
(昭和23年)
x x 西前頭17枚目
9–2
x 東前頭7枚目
1–6–4[1] 
x
1949年
(昭和24年)
西前頭15枚目
4–9 
x 西前頭18枚目
9–6 
x 西前頭13枚目
2–3–10[2] 
x
1950年
(昭和25年)
東前頭17枚目
7–8 
x 西前頭17枚目
10–5 
x 西前頭10枚目
4–11 
x
1951年
(昭和26年)
西前頭15枚目
9–6 
x 東前頭11枚目
7–8 
x 東前頭13枚目
8–7 
x
1952年
(昭和27年)
西前頭11枚目
6–9 
x 西前頭14枚目
9–6 
x 西前頭7枚目
8–7 
x
1953年
(昭和28年)
東前頭4枚目
4–11 
東前頭8枚目
7–8 
東前頭9枚目
8–7 
x 西前頭6枚目
10–5 
x
1954年
(昭和29年)
西前頭筆頭
3–12 
東前頭7枚目
6–9
西前頭9枚目
10–5 
x 東前頭3枚目
3–12 
x
1955年
(昭和30年)
西前頭10枚目
4–11 
西前頭16枚目
10–5 
西前頭11枚目
7–8 
x 東前頭12枚目
9–6 
x
1956年
(昭和31年)
東前頭7枚目
3–12 
西前頭15枚目
8–7 
西前頭14枚目
9–6 
x 東前頭12枚目
4–11 
x
1957年
(昭和32年)
西前頭16枚目
5–10 
西前頭21枚目
7–8 
東前頭22枚目
4–11 
x 東十両6枚目
休場
0–0–15
西十両17枚目
引退
0–0–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

幕内対戦成績

[編集]
力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
愛知山 4 6 明瀬川 2 1 朝潮(米川) 1 5 朝若 1 0
東海 1 2 東富士 0 2 愛宕山 0 1 安念山 0 3
泉洋 3 2 五ッ洋 2 0 岩風 0 2 梅錦 0 1
大岩山 5 1 大内山 0 2 大江戸 2 0 大熊 1 2
大瀬川 2 1 大起 2 9 大ノ海 1 2 大ノ浦 3 0
大昇 4 1 大晃 8 6 甲斐錦 3 1(1) 鏡里 1 3
神錦 4 10 神若 2 0 起雲山 1 3 北ノ洋 7 8
清恵波 12 7 九州錦 4 4 国登 6 7 高津山 1 1
小坂川 0 1 琴ヶ濱 1 7 琴錦 4(1) 4 相模川 1 1(1)
櫻國 1 3 櫻錦 0 1 潮錦 2 2 信夫山 6 2
嶋錦 5 2 清水川 3 6 信州山 1 0 大天龍 4 0
太刀風 0 1 楯甲 1 0 玉櫻 1 0 玉ノ海 1 0
竹旺山 0 1 千代の山 0 4 常ノ山 9 6 鶴ヶ嶺 0 1
輝昇 3 5 出羽錦 1 7 出羽ノ花 2 1 出羽湊 1 6
十勝岩 1 1 時津山 4 4 時錦 1 0 栃錦 0 5
七ッ海 1 0 名寄岩 7 4 鳴門海 5 8 成山 0 1
白龍山 0 1 羽黒山 0 1 羽嶋山 3 5 備州山 1 2
秀湊 1 1 平鹿川 1 0 平ノ戸 3 0 広瀬川 5 7
福ノ海 1 2 房錦 0 1 藤田 1 1 藤錦 0 1
二瀬山 6 5 双ツ龍 1 2 星甲 2 2 前ノ山(佐田岬) 1 1
増巳山 3 1 松登 0 3 三根山 0 4 緑國 1 3
緑嶋 0 1 宮城海 4 2 宮錦 1 3 陸奥ノ里 1 0
八方山 1 1 八染 0 3 吉井山 9 2 吉田川 0 1
芳野嶺 3 1 吉葉山 2 3 若嵐 1 0 若瀬川 0 2
若ノ海 0 1 若ノ花 3 4 若羽黒 1 2 若葉山 4 5
若前田 0 2
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。

改名歴

[編集]
  • 十文字 金作(じゅうもんじ きんさく)1938年1月場所-同年5月場所
  • 矢留石 金作(やとめいし きんさく)1939年1月場所-1946年11月場所
  • 大蛇潟 金作(おろちがた きんさく)1947年6月場所-1957年11月場所

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 右膝関節負傷により7日目から途中休場
  2. ^ 右膝関節負傷により5日目から途中休場