1957年の相撲
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1957年の相撲(1957ねんのすもう)は、1957年の相撲関係のできごとについて述べる。
アマチュア相撲
[編集]- 全日本相撲選手権大会で田畑外志雄(立命館大学)が優勝し、史上初の学生アマチュア横綱となる。
大相撲
[編集]できごと
[編集]- 1月 - 初場所、蔵前国技館で15日間。
- 3月2日 - 衆議院予算委員会で社会党衆議院議員の辻原弘市が、日本相撲協会は公益法人でありながら興行的だと指摘する[1]。その後、協会理事の武蔵川(元幕内出羽ノ花)が議員会館で辻原らに協会改革の8項目を説明する。
- 3月 - 春場所、大阪府立体育会館で15日間。幕下以下の優勝決定戦復活。大内山が関脇に陥落。場所後の番付編成会議で朝汐の大関昇進決定。文部省は保健体育審議会内に相撲協会問題特別委員会設置。武蔵川理事が出席し説明。
- 4月3日 - 衆議院文教委員会[2]において、武蔵川、和久田三郎(元関脇天竜)、永井高一郎(元幕内阿久津川)らが参考人として出席、協会の改革案についてそれぞれ意見を述べた。
- 5月4日 - 蔵前国技館事務室で出羽海理事長(元横綱常ノ花)が協会問題等を苦悩し、ガス自殺未遂。6日、出羽海理事長辞任、時津風理事長(元横綱双葉山)就任。協会は夏場所のマス席を一般に開放、行司部屋の独立、勝負検査長の廃止、相撲専修学校設置、茶屋制度の廃止、力士基本給の確立など改革案を発表。運営審議委員会の設置も決定。夏場所、蔵前国技館で15日間。
- 6月 - 保健体育審議会より相撲協会改革に関する申請を受けた文部省は、理事長ら協会幹部と協議し、改革方針が決まる。名古屋準本場所15日間、大関若乃花優勝。
- 9月 - 力士養老金値上げ。取締の勝負検査長制を廃止し、中入り後の勝負検査役は5名となる。平年寄会結成。自費養成力士制度を改め、幕下まで20場所以上の力士は廃業とする整理実施。相撲茶屋は相撲サービス会社(株)の案内所にかわる。秋場所、蔵前国技館で15日間。
- 10月 - 相撲教習所設置、所長に春日野取締。大阪準本場所15日間、横綱吉葉山優勝。
- 11月 - 協会に参与をおく。横綱は引退後5年間、大関は2年間、勝負検査役待遇となる。戦後初の九州本場所を開催し、年間5場所。九州場所、福岡スポーツセンターで15日間。
- 12月 - 力士の整理、幕下までに30場所以上は廃業。
本場所
[編集]- 一月場所(蔵前国技館、13~27日)
- 幕内最高優勝 : 千代の山雅信(15戦全勝,6回目)
- 殊勲賞-信夫山、敢闘賞-玉乃海、技能賞-成山
- 十両優勝 : 及川太郎(13勝2敗)
- 三月場所(大阪府立体育会館 10~24日)
- 幕内最高優勝 : 朝汐太郎(13勝2敗,2回目)
- 殊勲賞-玉乃海、敢闘賞-琴ヶ濱、技能賞-北ノ洋
- 十両優勝 : 房錦勝比古 (13勝2敗)
- 五月場所(蔵前国技館、19~6月2日)
- 幕内最高優勝 : 安念山治(13勝2敗,1回目)
- 殊勲賞-安念山、敢闘賞-房錦、技能賞-琴ヶ濱
- 十両優勝 : 及川太郎(13勝2敗)
- 九月場所(蔵前国技館、15~29日)
- 幕内最高優勝 : 栃錦清隆(14勝1敗,6回目)
- 殊勲賞-北ノ洋、敢闘賞-若瀬川、技能賞-琴ヶ濱
- 十両優勝 : 愛宕山武司(13勝2敗)
- 十一月場所(福岡スポーツセンター、10~24日)
- 幕内最高優勝 : 玉乃海太三郎(15戦全勝,1回目)
- 殊勲賞-若羽黒、敢闘賞-玉乃海
- 十両優勝 : 佐賀光健吾(13勝2敗)
誕生
[編集]- 1月5日 - 翔鵬豪一(最高位:十両11枚目、所属:二所ノ関部屋→大鵬部屋)
- 1月12日 - 若嶋津六夫(最高位:大関、所属:二子山部屋)[3]
- 3月5日 - 白岩政寿(最高位:十両7枚目、所属:伊勢ヶ濱部屋、+ 2022年【令和4年】)[4][5]
- 4月3日 - 花嵐一美(最高位:十両9枚目、所属:花籠部屋)
- 4月14日 - 凱皇仁(最高位:十両7枚目、所属:時津風部屋)
- 4月22日 - 琴千歳幸征(最高位:前頭5枚目、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[3]
- 4月26日 - 琴風豪規(最高位:大関、所属:佐渡ヶ嶽部屋)[6][7]
- 5月27日 - 佐ノ藤清彦(最高位:十両5枚目、所属:鏡山部屋)
- 6月7日 - 薩洲洋康貴(最高位:前頭筆頭、所属:君ヶ濱部屋→井筒部屋、年寄:立田山)[8]
- 8月15日 - 高望山大造(最高位:関脇、所属:高島部屋→熊ヶ谷部屋、年寄:高島)[9]
- 8月21日 - 竹葉山真邦(最高位:前頭13枚目、所属:宮城野部屋)[8][10]
- 12月5日 - 草竹幸一(最高位:十両11枚目、所属:大鵬部屋)
死去
[編集]- 1月29日 - 敷嶌猪之助(最高位:前頭4枚目、所属:友綱部屋、年寄:熊ヶ谷、* 1887年【明治20年】)[11]
- 7月21日 - 常陸岩英太郎(最高位:大関、所属:出羽海部屋、年寄:境川、* 1900年【明治33年】)[12]
- 8月19日 - 信夫山秀之助(最高位:前頭2枚目、所属:出羽海部屋、* 1902年【明治35年】)[13]
- 12月30日 - 黒瀬川浪之助(最高位:関脇、所属:友綱部屋、* 1885年【明治18年】)[14]
出典
[編集]- ^ 第26回国会 衆議院 予算委員会 第11号 昭和32年3月2日
- ^ 第26回国会 衆議院 文教委員会 第15号 昭和32年4月3日
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 203頁
- ^ 「令和3年度版 最新部屋別 全相撲人写真名鑑」『相撲』2021年5月号別冊付録、ベースボール・マガジン社、5頁。
- ^ 「元十両白岩が腹部大動脈瘤破裂で死去64歳 本場所などで運営補佐を務める「若者頭」 秋田県出身」『日刊スポーツ』2022年2月18日。2022年2月18日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 195頁
- ^ 「元大関琴風の尾車親方の退職を相撲協会が発表 任期満了の70歳を3年近く残して」『日刊スポーツ』2024年5月11日。2024年5月11日閲覧。
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 215頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 204頁
- ^ 「元横綱・白鵬が宮城野部屋を継承…日本相撲協会理事会」『スポーツ報知』2022年7月28日。2022年7月28日閲覧。
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 40頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 55頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 68頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 18頁
参考文献
[編集]- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p50