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信夫山秀之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

信夫山 秀之助(しのぶやま ひでのすけ、1902年6月6日 - 1957年8月19日)は、福島県伊達郡川俣町出身で出羽海部屋に所属した大相撲幕内力士。本名は菅野 秀之助。身長177cm、体重103kg。最高位は東前頭2枚目。得意技は右四つ、寄り。

略歴

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1920年1月場所、出羽海部屋から初土俵を踏む。負け越しなしで1925年1月場所、十両に昇進した。右四つからの寄りを得意とした。十両と幕下の間を何度か往復したが、1929年1月場所に入幕すると、その場所9勝2敗の好成績を挙げ、幕内上位に定着した。横綱宮城山大関能代潟も何度か破ったこともあったが、1932年の春秋園事件で脱退、その後復帰しなかった。関西角力協会では1936年まで現役を続け、その後は学生相撲の指導にあたっていた。

主な成績

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  • 通算成績:149勝107敗1分4休 勝率.582
  • 幕内成績:69勝60敗1分2休 勝率.535
  • 現役在位:31場所
  • 幕内在位:13場所(脱退の1932年1月場所を含む)
  • 金星:2個(宮城山2個)
  • 各段優勝
    • 幕下優勝:2回(1924年5月場所、1928年3月場所)

場所別成績

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信夫山 秀之助
春場所 三月場所 夏場所 秋場所
1920年
(大正9年)
(前相撲) x (前相撲) x
1921年
(大正10年)
(前相撲) x 西序ノ口19枚目
3–2 
x
1922年
(大正11年)
西序二段33枚目
3–2 
x 西三段目47枚目
4–1 
x
1923年
(大正12年)
西三段目17枚目
5–5 
x 西三段目21枚目
4–2 
x
1924年
(大正13年)
西三段目5枚目
3–2 
x 西幕下23枚目
優勝
6–0
x
1925年
(大正14年)
西十両13枚目
3–3 
x 東幕下3枚目
4–2 
x
1926年
(大正15年)
東十両9枚目
3–3 
x 西幕下4枚目
3–1–2 
x
1927年
(昭和2年)
東幕下筆頭
4–2 
東幕下筆頭
3–3 
西十両7枚目
4–2 
東幕下2枚目
2–4 
1928年
(昭和3年)
西十両3枚目
5–6 
東幕下8枚目
優勝
6–0
西十両3枚目
7–4 
西十両3枚目
9–2 
1929年
(昭和4年)
東前頭12枚目
9–2 
東前頭12枚目
8–3 
東前頭4枚目
7–4 
東前頭4枚目
4–7 
1930年
(昭和5年)
東前頭4枚目
6–5 
東前頭4枚目
5–4–2[1]
東前頭2枚目
5–6
東前頭2枚目
6–5 
1931年
(昭和6年)
西前頭2枚目
5–6[2] 
西前頭2枚目
3–7
1痛分
 
東前頭5枚目
2–9 
東前頭5枚目
9–2 
1932年
(昭和7年)
西前頭2枚目

脱退
 
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

脚注

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  1. ^ 左手指化膿により7日目から途中休場、10日目から再出場
  2. ^ 発熱により9日目不戦敗

関連項目

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外部リンク

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