辻原弘市
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辻原 弘市(つじはら ひろいち、1923年(大正12年)1月23日[1] - 1985年(昭和60年)10月19日[1][2])は、日本の教育者、政治家。日本社会党衆議院議員(8期)。日本武道館常任理事[1]。
来歴
[編集]和歌山県出身[1][2]。1940年(昭和15年)和歌山県立田辺中学校(現和歌山県立田辺中学校・高等学校)を卒業[3]。朝鮮窒素肥料に入社し研究部に配属された[2][3]。1943年(昭和18年)和歌山師範学校本科を卒業[1][2][3]。和歌山県内の小中学校の教諭を務め、和歌山県教職員組合書記長、日本教職員組合中央執行委員、日本労働組合総評議会常任幹事などを歴任[2][3]。
1952年(昭和27年)の第25回衆議院議員総選挙で和歌山2区から日本社会党左派公認で立候補して初当選する[2]。以来当選8回[1][2]。国会内では災害対策特別委員長などを務めた[1][2]。1976年(昭和51年)の第34回総選挙に出馬せず引退。1985年死去。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 宗像誠也、国分一太郎編『日本の教育 : "教育裁判"をめぐる証言』岩波書店〈岩波新書〉、1962年。
- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 川村継義 |
衆議院災害対策特別委員長 | 次代 中井徳次郎 |
名誉職 | ||
先代 天野公義 |
最年少衆議院議員 1952年 - 1955年 |
次代 石橋政嗣 |