コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大島弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大島弘
おおしま ひろむ
生年月日 1921年6月26日
出生地 日本の旗 日本 和歌山県田辺市
没年月日 (1994-02-03) 1994年2月3日(72歳没)
出身校 東京帝国大学法学部政治学科卒業
前職 弁護士
所属政党 日本社会党
称号 従四位
勲三等旭日中綬章
親族 兄・大島靖(大阪市長)

選挙区 旧和歌山2区
当選回数 2回
在任期間 1976年12月10日 - 1979年9月7日
1980年6月22日 - 1983年11月28日
テンプレートを表示

大島 弘(おおしま ひろむ、1921年大正10年)6月26日[1][2] - 1994年平成6年)2月3日[1])は、昭和期の大蔵官僚政治家弁護士衆議院議員(2期、日本社会党)。兄は第14代大阪市長大島靖[1]

経歴

[編集]

和歌山県、現在の田辺市[1]出身。第三高等学校を経て[3]、1942年(昭和17年)4月、東京帝国大学法学部に入学[1]。1943年(昭和18年)12月、現役入営[1]。1945年(昭和20年)8月、陸軍主計少尉に任官し予備役に編入され臨時召集[2]。同年12月、召集解除となる[2]1947年(昭和22年)東京帝大法学部政治学科を卒業[1][2]。同年4月、高等試験行政科・司法科に合格[2][3]

卒業後、1947年5月、大蔵省に入省して大蔵事務官に任官し専売局長官官房に配属された[2]。以後、大津税務署長、金沢国税局直税部長、名古屋国税局調査査察部長、印刷局総務部総務課長、国有財産局監理課長、造幣局東京支局長、東北財務局長などを歴任し[2]、1970年(昭和45年)11月に退官した[1][2]。1974年(昭和49年)大島弘法律事務所を開業[1]

1976年(昭和51年)12月の第34回衆議院議員総選挙和歌山県第2区から日本社会党公認で立候補して初当選[4]。次の1979年(昭和54年)の第35回総選挙では次点で落選するが[4]、翌1980年(昭和55年)の第36回総選挙で再選した[5]1983年(昭和58年)の第37回衆議院議員総選挙には出馬せず[5]引退した。

1994年(平成6年)2月3日死去、72歳。死没日をもって正八位から従四位に叙される[6]

栄典

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『現代政治家人名事典』87頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』35頁。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』365頁。
  4. ^ a b 『国政選挙総覧:1947-2016』286頁。
  5. ^ a b 『国政選挙総覧:1947-2016』287頁。
  6. ^ 『官報』第1348号10-12頁 平成6年2月28日号
  7. ^ 「秋の叙勲 勲三等以上および在外邦人、帰化邦人、在日外国人、外国人の受章者」『読売新聞』1991年11月3日朝刊

参考文献

[編集]
  • 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年。
  • 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。