出羽湊秀一
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出羽湊 秀一(1955年頃) | ||||
基礎情報 | ||||
四股名 | 川田 秀一 → 出羽竜 秀一 → 岩木山 秀一 → 出羽港 秀一 → 出羽湊 秀一 | |||
本名 | 川田 秀一 | |||
生年月日 | 1923年4月24日 | |||
没年月日 | 1979年9月16日(56歳没) | |||
出身 | 青森県中津軽郡岩木町(現在の弘前市) | |||
身長 | 177cm | |||
体重 | 98kg | |||
BMI | 31.28 | |||
所属部屋 | 出羽海部屋 | |||
得意技 | 突っ張り、右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東前頭筆頭 | |||
生涯戦歴 | 310勝306敗25休(49場所) | |||
幕内戦歴 | 135勝148敗17休(20場所) | |||
優勝 | 十両優勝1回 | |||
データ | ||||
初土俵 | 1940年5月場所 | |||
入幕 | 1953年5月場所 | |||
引退 | 1958年9月場所 | |||
引退後 | 年寄・藤島 | |||
備考 | ||||
2019年7月24日現在 |
出羽湊 秀一(でわみなと しゅういち、1923年4月24日 - 1979年9月16日)は、青森県中津軽郡岩木町(現・同県弘前市)出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は川田 秀一(かわだ しゅういち)。最高位は東前頭筆頭(1956年5月場所)。現役当時の体格は177cm、98kg。得意手は突っ張り、右四つ、寄りなど。
引退後は年寄・藤島として後進の指導と、相撲協会の発展に尽くした。
来歴・人物
[編集]1940年5月場所にて、17歳で初土俵を踏んだが、幕下に昇進したところで兵役のために長く土俵を離れた。そのため、新十両昇進は1949年5月場所と、時間がかかった。
十両にいた時期も長く、新入幕を果たした1953年5月場所では、すでに30歳に達していた。それでもその後、蹴手繰りなどの技を武器にして、幕内を連続20場所保った。その間、1955年9月場所では大関・大内山を、1956年3月場所では大関・松登を破る殊勲の星を挙げている。
幕下から十両にかけて、本名でもある「川田」から、4場所連続で四股名を改めた(「四股名の変遷」の項を参照)。
1958年9月場所限りで引退し、以降は年寄・藤島を襲名して出羽海部屋付きの親方となり、長く勝負審判などを務めた。
1979年9月16日、膀胱腫瘍のため東京都内の病院で逝去。56歳没。
主な成績・記録
[編集]- 通算成績:310勝306敗25休 勝率.503
- 幕内成績:135勝148敗17休 勝率.477
- 現役在位:49場所
- 幕内在位:20場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1953年3月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1940年 (昭和15年) |
x | x | (前相撲) | x | x | x |
1941年 (昭和16年) |
東序ノ口36枚目 4–4 |
x | 西序二段75枚目 5–3 |
x | x | x |
1942年 (昭和17年) |
西序二段13枚目 5–3 |
x | 東三段目22枚目 5–3 |
x | x | x |
1943年 (昭和18年) |
西三段目4枚目 5–3 |
x | 西幕下32枚目 5–3 |
x | x | x |
1944年 (昭和19年) |
東幕下20枚目 – 兵役 |
x | x | x | x | x |
1945年 (昭和20年) |
x | x | x | x | x | x |
1946年 (昭和21年) |
x | x | x | x | x | x |
1947年 (昭和22年) |
x | x | x | x | x | 幕下 3–3 |
1948年 (昭和23年) |
x | x | 西幕下7枚目 3–3 |
x | 東幕下6枚目 2–4 |
x |
1949年 (昭和24年) |
東幕下9枚目 8–4 |
x | 西十両15枚目 8–7 |
x | 東十両13枚目 8–7 |
x |
1950年 (昭和25年) |
東十両8枚目 6–9 |
x | 西十両10枚目 4–11 |
x | 西幕下2枚目 8–7 |
x |
1951年 (昭和26年) |
東幕下筆頭 11–4 |
x | 西十両9枚目 8–7 |
x | 東十両5枚目 8–7 |
x |
1952年 (昭和27年) |
西十両2枚目 8–7 |
x | 西十両2枚目 6–9 |
x | 西十両4枚目 6–9 |
x |
1953年 (昭和28年) |
東十両8枚目 9–6 |
東十両3枚目 優勝 11–4 |
東前頭18枚目 7–8 |
x | 東前頭19枚目 8–7 |
x |
1954年 (昭和29年) |
東前頭15枚目 7–8 |
東前頭16枚目 8–7 |
西前頭13枚目 6–5–4[1] |
x | 西前頭11枚目 8–7 |
x |
1955年 (昭和30年) |
東前頭11枚目 7–8 |
東前頭12枚目 9–6 |
西前頭9枚目 11–4 |
x | 東前頭3枚目 4–11 |
x |
1956年 (昭和31年) |
東前頭8枚目 9–6 |
東前頭2枚目 8–7 |
東前頭筆頭 3–12 |
x | 西前頭6枚目 6–9 |
x |
1957年 (昭和32年) |
東前頭7枚目 6–9 |
東前頭10枚目 8–7 |
西前頭8枚目 0–2–13[2] |
x | 東前頭19枚目 7–8 |
東前頭19枚目 8–7 |
1958年 (昭和33年) |
西前頭17枚目 5–10 |
東十両筆頭 7–8 |
西十両2枚目 7–8 |
東十両3枚目 8–7 |
西十両筆頭 引退 6–9–0 |
x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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朝汐(米川) | 2 | 1 | 東海 | 2 | 1 | 愛宕山 | 1 | 2 | 安念山 | 5 | 3 |
泉洋 | 4 | 4 | 岩風 | 0 | 4 | 及川 | 1 | 1 | 大岩山 | 1 | 0 |
大内山 | 1 | 4 | 大瀬川 | 1 | 3 | 大田山 | 2 | 0 | 大ノ浦 | 2 | 1 |
大昇 | 2 | 5 | 大蛇潟 | 6 | 1 | 甲斐ノ山 | 3 | 0 | 鏡里 | 0 | 4 |
神錦 | 4 | 5 | 起雲山 | 1 | 0 | 北ノ洋 | 3 | 6 | 清恵波 | 6 | 6 |
鬼竜川 | 3 | 2 | 九州錦 | 1 | 1 | 国登 | 3 | 3 | 鯉ノ勢 | 1 | 1 |
琴ヶ濱 | 3 | 5 | 櫻國 | 1 | 1 | 潮錦 | 5 | 2 | 嶋錦 | 2 | 6(1) |
清水川 | 1 | 3 | 大天龍 | 7 | 3 | 高錦 | 0 | 1 | 玉ノ海 | 1 | 2 |
鶴ヶ嶺 | 2 | 6 | 輝昇 | 2 | 2 | 時津山 | 4 | 1 | 時錦 | 2 | 1 |
豊登 | 0 | 1 | 七ッ海 | 2 | 1 | 名寄岩 | 2 | 1(1) | 白龍山 | 1 | 3 |
緋縅 | 1 | 1 | 備州山 | 1 | 1 | 平鹿川 | 1 | 0 | 広瀬川 | 6 | 2 |
福ノ海 | 1 | 2 | 福ノ里 | 2 | 3 | 房錦 | 1 | 1 | 二瀬山 | 4 | 3 |
双ツ龍 | 2 | 4 | 星甲 | 2 | 1 | 前ノ山(佐田岬) | 0 | 2 | 松登 | 1 | 2 |
三根山 | 1 | 0 | 宮錦 | 4 | 5 | 吉田川 | 2 | 0 | 芳野嶺 | 1 | 3 |
吉葉山 | 0 | 3 | 若瀬川 | 2 | 2 | 若ノ海 | 2 | 3 | 若ノ花 | 0 | 3 |
若羽黒 | 0 | 1 | 若葉山 | 5 | 6 | 若前田 | 2 | 3 |
※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦敗の数。
四股名の変遷
[編集]- 川田 秀一(かわだ しゅういち)1941年1月場所 - 1948年5月場所
- 出羽龍 秀一(でわりゅう -)1948年10月場所
- 岩木山 秀一(いわきやま -)1949年1月場所
- 出羽港 秀一(でわみなと -)1949年5月場所
- 出羽湊 秀一(でわみなと -)1949年10月場所 - 1958年9月場所(引退)
年寄名の変遷
[編集]- 藤島 秀一(ふじしま しゅういち)1958年9月 - 1979年9月(死去)