甲斐ノ山福人
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基礎情報 | ||||
四股名 | 甲斐ノ山 福人 | |||
本名 | 田草川 次夫 | |||
生年月日 | 1921年3月4日 | |||
出身 | 山梨県東山梨郡塩山町 | |||
身長 | 170cm | |||
体重 | 113kg | |||
BMI | 28.09 | |||
所属部屋 | 錦嶋部屋 | |||
得意技 | 右四つ、寄り | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 西前頭10枚目 | |||
生涯戦歴 | 227勝263敗12休(26場所) | |||
幕内戦歴 | 83勝97敗(5場所) | |||
データ | ||||
初土俵 | 1935年5月場所 | |||
入幕 | 1950年9月場所 | |||
引退 | 1955年3月場所 | |||
引退後 | 装飾用品店経営 | |||
備考 | ||||
2013年8月25日現在 |
甲斐ノ山 福人(かいのやま ふくひと、1921年3月4日 - 没年不明)は、山梨県東山梨郡塩山町(現・同県甲州市)出身で錦嶋部屋に所属した大相撲力士。本名は田草川 次夫(たくさがわ つぎお)。現役時代の体格は170cm、113kg。得意手は右四つ、寄り。引退後は、およそ9年半の間、年寄として後進の指導に努めた。
来歴・人物
[編集]14歳の時に錦嶋部屋へ入門し、1935年5月場所で初土俵を踏んだ。
「大蛇嶋」の名で初めて番付に載るまでに3年近くを要し、その後も出世は遅々として進まず、1944年1月場所で漸く新十両に昇進。そして、これを機に、四股名を故郷・山梨県の旧称に因んだ「甲斐ノ山」に改めた。
以降は、幕下と十両との往復を繰り返した。だが4度目の十両昇進となった1950年5月場所に於いて、13勝2敗という好成績で十両優勝を遂げると、翌9月場所で新入幕を果たした。
低い身長を活かして、下から潜り込んで押す相撲で、幕内に定着。最高位は1951年9月場所での西前頭10枚目に留まったが、幕内を通算12場所務めた。
十両に落ちてからも相撲を取り続けたが、1955年1月場所では十両下位で2勝13敗と大負けし、幕下への陥落が避けられない状況となった。翌3月場所では初日より休場し、同場所を以って34歳で引退。
引退後は年寄・立川から同・田子ノ浦を借株で襲名し、後輩達の指導に当たった。
1964年9月、元関脇・出羽錦の引退に伴って田子ノ浦の名跡を返上し、廃業。
主な戦績
[編集]- 通算成績:227勝263敗12休 勝率.463
- 幕内成績:83勝97敗 勝率.461
- 現役在位:44場所
- 幕内在位:12場所
- 各段優勝
- 十両優勝:1回(1950年5月場所)
場所別成績
[編集]春場所 | 三月場所 | 夏場所 | 秋場所 | |||
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1935年 (昭和10年) |
x | x | (前相撲) | x | ||
1936年 (昭和11年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1937年 (昭和12年) |
(前相撲) | x | (前相撲) | x | ||
1938年 (昭和13年) |
東序ノ口12枚目 4–3 |
x | 西序二段11枚目 2–5 |
x | ||
1939年 (昭和14年) |
西序二段24枚目 4–3 |
x | 西三段目41枚目 6–2 |
x | ||
1940年 (昭和15年) |
東三段目9枚目 4–4 |
x | 東三段目3枚目 1–3 |
x | ||
1941年 (昭和16年) |
東三段目24枚目 4–4 |
x | 東三段目6枚目 5–3 |
x | ||
1942年 (昭和17年) |
東幕下38枚目 5–3 |
x | 東幕下12枚目 5–3 |
x | ||
1943年 (昭和18年) |
西幕下4枚目 4–4 |
x | 東幕下5枚目 5–3 |
x | ||
1944年 (昭和19年) |
西十両13枚目 6–9 |
x | 西十両15枚目 5–5 |
東十両12枚目 6–4 |
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1945年 (昭和20年) |
x | x | 西十両4枚目 3–4–3 |
西十両7枚目 2–8 |
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1946年 (昭和21年) |
x | x | x | 西十両12枚目 6–7 |
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1947年 (昭和22年) |
x | x | 東幕下筆頭 2–3–1 |
西幕下4枚目 2–4 |
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1948年 (昭和23年) |
x | x | 西幕下9枚目 4–2 |
東幕下4枚目 4–2 |
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1949年 (昭和24年) |
東十両15枚目 3–10 |
x | 西幕下4枚目 9–6 |
東十両15枚目 4–11 |
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1950年 (昭和25年) |
東幕下3枚目 10–5 |
x | 東十両9枚目 優勝 13–2 |
東前頭20枚目 7–8 |
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1951年 (昭和26年) |
東前頭20枚目 8–7 |
x | 西前頭18枚目 9–6 |
西前頭10枚目 3–12 |
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1952年 (昭和27年) |
東前頭17枚目 6–9 |
x | 西前頭20枚目 11–4 |
西前頭12枚目 6–9 |
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1953年 (昭和28年) |
東前頭14枚目 6–9 |
東前頭16枚目 10–5 |
東前頭13枚目 7–8 |
西前頭13枚目 6–9 |
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1954年 (昭和29年) |
西前頭15枚目 4–11 |
西十両筆頭 6–9 |
西十両4枚目 5–10 |
東十両8枚目 3–12 |
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1955年 (昭和30年) |
西十両16枚目 2–13 |
西幕下7枚目 引退 0–0–8 |
x | x | ||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
幕内対戦成績
[編集]力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 | 力士名 | 勝数 | 負数 |
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愛知山 | 3 | 2 | 東海 | 1 | 1 | 五ッ洋 | 2 | 2 | 大岩山 | 3 | 2 |
大起 | 1 | 2 | 大ノ海 | 3 | 0 | 大昇 | 3 | 3 | 大晃 | 2 | 4 |
神錦 | 2 | 4 | 神若 | 2 | 1 | 北ノ洋 | 0 | 5 | 清恵波 | 3 | 2 |
九州錦 | 3 | 2 | 国登 | 2 | 1 | 高津山 | 1 | 1 | 小坂川 | 0 | 2 |
琴ヶ濱 | 1 | 3 | 琴錦 | 0 | 3 | 櫻國 | 2 | 3 | 櫻錦 | 0 | 1 |
潮錦 | 3 | 3 | 信夫山 | 3 | 4 | 嶋錦 | 1 | 1 | 清水川 | 0 | 1 |
大天龍 | 1 | 1 | 大龍 | 1 | 0 | 玉ノ海 | 1 | 1 | 常ノ山 | 0 | 4 |
輝昇 | 1 | 0 | 出羽ノ花 | 0 | 1 | 出羽湊 | 0 | 3 | 那智ノ山 | 0 | 2 |
名寄岩 | 2 | 1 | 鳴門海 | 1 | 4 | 白龍山 | 0 | 1 | 羽嶋山 | 1 | 1 |
備州山 | 3 | 1 | 平ノ戸 | 1 | 0 | 広瀬川 | 4 | 1 | 福ノ里 | 1 | 1 |
藤田山 | 2 | 1 | 二瀬山 | 0 | 2 | 双ツ龍 | 1 | 1 | 不動岩 | 2 | 0 |
増巳山 | 3 | 1 | 緑國 | 1 | 0 | 宮城海 | 1 | 3 | 宮錦 | 0 | 2 |
八方山 | 1 | 0 | 吉井山 | 5 | 1 | 吉田川 | 3 | 2 | 米川 | 0 | 1 |
若嵐 | 1 | 0 | 若瀬川 | 0 | 1 | 若ノ花 | 0 | 1 |
改名歴
[編集]- 大蛇嶋(おろちじま、1938年1月場所-1943年5月場所)
- 甲斐ノ山 福人(かいのやま ふくひと、1944年1月場所-1955年3月場所)
年寄変遷
[編集]- 立川 次男(たてかわ つぎお、1955年3月-1958年9月)
- 田子ノ浦 次夫(たごのうら つぎお、1958年9月-1964年9月)
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『戦後新入幕力士物語 第1巻』(著者:佐竹義惇、ベースボール・マガジン社刊)
- 『全幕内力士個人別大相撲星取大鑑 昭和編第3巻』(著者:小池謙二、医聖社刊)