木村玉之助 (13代)
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基礎情報 | ||||
行司名 | 木村玉吉 → 木村玉光 → 木村光晴 → 木村玉光 → 木村重政 → 木村玉二郎 → 13代木村玉之助 | |||
本名 |
きよみず いさぶろう 清水 伊三郎 | |||
愛称 | 三人相撲 | |||
生年月日 | 1888年1月14日 | |||
没年月日 | 1966年10月20日(78歳没) | |||
出身 | 日本・京都府京都市東山区 | |||
所属部屋 | 中村部屋 | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 立行司(木村玉之助) | |||
初土俵 | 1897年5月(大阪) | |||
幕内格 | 1922年1月(大阪) | |||
三役格 | 1935年5月 | |||
立行司 | 1940年5月 | |||
引退 | 1959年11月 | |||
備考 | ||||
2017年1月12日現在 |
13代木村 玉之助(きむら たまのすけ、本名:清水 伊三郎(きよみず いさぶろう)1888年1月14日 - 1966年10月20日)は大相撲の元立行司。所属はよく変わったが、最後は中村部屋。京都府京都市東山区出身。
人物
[編集]京都府京都市東山区五条下ル庵町出身。1888年(明治21年)1月14日生まれ[1]。
1897年(明治30年)5月に大阪相撲にて初土俵を踏む。1922年(大正11年)1月に幕内格に昇格したのち、東西合併により上京。1935年(昭和10年)5月に三役格に昇格し、1940年(昭和15年)5月場所に立行司に昇格し、「木村玉之助」を襲名するも、1951年(昭和26年)5月場所に副立行司制が導入されると同時に、それに降格された[2]。1960年(昭和35年)1月場所で行司の停年(定年)制実施時に副立行司も廃止され、前年(1959年(昭和34年))11月場所限りで停年退職[1]。満71歳であった。
1966年(昭和41年)10月26日、満78歳で死去。
玉之助の名跡は、13代を最後に約60年を経た今日まで襲名する行司はなく、名跡は事実上途絶えている[1]。
参考文献
[編集]- 『相撲』編集部『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社(原著2001年4月1日)。ISBN 978-4583036403。 NCID BA51895886。
- 根間弘海『昭和初期の番付と行司』専修大学学会〈『専修経営学論集』88 123-157〉(原著2009年3月20日)。 NCID BA51895886。
- 山田義則『華麗なる脇役 木村庄之助と大相撲』文芸社(原著2011年10月1日)。ISBN 978-4286109640。 NCID BB07277896。
関連項目
[編集]脚注
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