式守伊之助 (3代)
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基礎情報 | ||||
行司名 | 初代式守卯之助 → 3代式守伊之助 | |||
本名 | 穂谷? | |||
生年月日 | 1775年 | |||
没年月日 | 1832年4月21日 | |||
出身 | 日本・埼玉県上尾市? | |||
データ | ||||
現在の階級 | 引退 | |||
最高位 | 立行司(式守伊之助) | |||
立行司 | 1820年 | |||
引退 | 1830年11月 | |||
備考 | ||||
3代 式守 伊之助(さんだい しきもり いのすけ、安永4年(1775年) - 天保3年3月21日(1832年4月21日))は、大相撲の立行司。本名は穂谷?。出身地は現在の埼玉県上尾市?。
人物
[編集]初代伊之助の弟子で、初代式守卯之助を名乗り、地道に昇進していった。だが、寛政7年(1796年)から13年間も姿を消した(理由は不明)。文化5年(1808年)10月に復帰し、文政3年(1820年)に3代伊之助を襲名して次席に就いた。同6年(1823年)と13年(1830年)2回の上覧の栄誉を賜った。文政13年(1830年)11月に現役を退き、2年後の天保3年(1832年)に没した。
参考文献
[編集]- 「相撲」編集部 編『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年4月1日。ISBN 978-4583036403。 NCID BA51895886。
関連項目
[編集]脚注
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