前田亨
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 熊本県熊本市北区植木町 |
生年月日 | 1950年12月16日(73歳) |
身長 体重 |
178 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1973年 ドラフト5位 |
初出場 | 1974年10月1日 |
最終出場 | 1980年11月8日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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コーチ歴 | |
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この表について
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前田 亨(まえだ とおる、旧名:享。1950年12月16日 - )は、熊本県出身のプロ野球審判・元プロ野球選手。
来歴・人物
[編集]熊本工では2年生の時、控え捕手として1967年の春の選抜に出場。山下忠信(鷺宮製作所)、松本正幸(巨人)の好投もあり準々決勝に進むが、この大会に準優勝した高知高の三本隆(日本石油)に完封を喫する[1]。他のチームメートに中堅手の内田照文がいた。翌1968年夏は松本とバッテリーを組み、県予選準決勝に進むが、鎮西高に延長12回敗退、甲子園には届かなかった。
卒業後は日本通運浦和に入社。1973年の都市対抗では、準々決勝で大昭和製紙北海道の中山俊之から逆転3点本塁打を放つなど活躍するが、準決勝で日産自動車に9回サヨナラ負け[2]。
1973年のドラフト5位で阪急ブレーブスに捕手として入団。中沢伸二らの陰に隠れ、ほとんど出番はなかったが、1980年まで現役をつとめた。同年11月には五番、指名打者として1試合のみ先発出場を果たす。選手としての通算出場記録は2試合に出場して4打数1安打、0本塁打、0打点、打率.250。1981年から二年間二軍のコーチ補佐を務めた[3]。
その後パシフィック・リーグの関西審判部に入局。審判員袖番号は7(1983年以降、7は1977年初採用から1981年まで久喜勲がつけていた番号である。)。オールスター4回(1987年、1991年、2002年、2005年。内1987年第2戦で球審)、日本シリーズ4回(1993年、1995年、1997年、2001年。内訳は第5戦での球審が3回(1993年、1997年、2001年)、第1戦での球審が1回(1995年)。なお前田が出場した4回の日本シリーズはすべてヤクルトスワローズ戦であり、4回ともヤクルトが日本一となっている)出場している。1995年の小林の14球では一塁塁審をしていた。
2005年まで同リーグ審判部主任をつとめていたが、55歳の定年年齢到達に基づき、2006年からは一審判員に戻っている。2008年8月30日に京セラドーム大阪で行われたオリックス・バファローズ対北海道日本ハムファイターズ戦で二塁塁審を務め2000試合出場を達成、10月1日に京セラドーム大阪で行われたオリックス対福岡ソフトバンクホークス戦の三塁塁審を最後に同年限りで退職した。通算出場試合2001試合 [4]。
2008年秋からプロ野球マスターズリーグの審判員を務めた。また、2009年より関西独立リーグの審判員も務めており、同リーグ開幕戦で二塁塁審を務めた。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1974 | 阪急 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1.000 | 1.000 | 2.000 |
1980 | 1 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:2年 | 2 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .250 | .250 | .250 | .500 |
記録
[編集]- 初出場:1974年10月1日、対ロッテオリオンズ後期13回戦(西京極球場)、4回裏に石田芳雄の代打で出場
- 初打席・初安打:同上、4回裏に倉持明から
- 初先発出場:1980年11月8日、対近鉄バファローズ前期13回戦(藤井寺球場)、5番・指名打者で先発出場
背番号
[編集]- 44 (1974年 - 1980年)
- 76 (1981年 - 1982年)
審判出場記録
[編集](記録は2008年シーズン終了時)
脚注
[編集]- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ 阪急ブレーブス黄金の歴史 [永久保存版] よみがえる勇者の記憶 1936-1988、ベースボール・マガジン社、2011年、P129
- ^ https://npb.jp/umpires/register/51153867.html