前田新悟
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府八尾市 |
生年月日 | 1980年3月27日(44歳) |
身長 体重 |
178 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 2001年 ドラフト5巡目 |
初出場 | 2002年6月28日 |
最終出場 | 2004年6月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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前田 新悟(まえだ しんご、1980年3月27日 - )は、大阪府八尾市出身の元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
[編集]プロ入り前
[編集]少年野球の八尾フレンドからPL学園高へ進む[1]。中学時代からのチーム1年後輩に平石洋介がいた。高校2年夏には1学年上のエース・前川克彦、荒金久雄を擁して、甲子園に遊撃手として出場。東京六大学野球の名門・明治大学で主将を務め、第34回IBAFワールドカップ日本代表にも選出された。東京六大学リーグ通算102試合出場、329打数79安打、打率.240、4本塁打、41打点。3年生秋にベストナインに選ばれた。ドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け、入団。即戦力内野手との期待を受けていた。
プロ入り後~現在
[編集]ルーキーイヤーの2002年は、わずか3試合の出場に終わったが、10月の第14回アジア競技大会野球日本代表に選ばれた。
2004年、一軍でヒットを打てないまま、球団から戦力外通告を受けて現役引退、スコアラーに転身した。
2005年から2007年までは読売ジャイアンツを担当し、2008年から2011年までは東京ヤクルトスワローズを担当した。2012年からはスコアラーの担当制が廃止される。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2002 | 中日 | 3 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
2003 | 14 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2004 | 2 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
通算:3年 | 19 | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
[編集]- 初出場:2002年6月28日、対広島東洋カープ14回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に朝倉健太の代打で出場
- 初打席:同上、2回裏に鶴田泰の前に空振り三振
- 初先発出場:2003年4月26日、対ヤクルトスワローズ5回戦(明治神宮野球場)、8番・遊撃手で先発出場
背番号
[編集]- 25 (2002年 - 2003年)
- 00 (2004年)
脚注
[編集]- ^ 2002プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社