前田晁
前田 晁(まえだ あきら、1879年(明治12年)1月15日 - 1961年(昭和36年)9月9日)は、日本の小説家・翻訳者。号は木城。妻は童話作家の徳永寿美子。
略歴
[編集]山梨県東山梨郡八幡村(現山梨市)に生まれる。尋常小学校を卒業後、東山梨郡役所(東山梨郡役所)給仕として働く。1891年(明治24年)には大日本中学会会員となり、中学校課程を学ぶ。翌年には甲府郵便電信局の電気通信技術電信生となり、1898年(明治31年)には東京郵便電信局に転任する。国民英学会夜間部に通い学ぶ。1900年(明治33年)には東京専門学校(現早稲田大学)高等予科に合格。文学部哲学科・文学科に進み、下谷警察署電信係として働きつつ学ぶ。在学中には坪内逍遥と知り合い、1903年(明治36年)には金港堂「青年界」に翻訳を寄せる。
1904年(明治37年)に卒業し、隆文社に入社して「活動の日本」「新声」などの編集に携わる。1906年(明治39年)には坪内逍遥の紹介で博文館に入社。この頃窪田空穂と知り合い、終生の交友となる。同年3月には田山花袋が編集主任となった自然主義文学雑誌『文章世界』が創刊されており、田山が執筆に専念するため前田は同誌の編集に携わる。前田は自身も小説や評論を執筆するほか翻訳を行い、エドモン・ド・ゴンクール『陥穽』(かんせい)のほか、モーパッサンやチェーホフの翻訳を手がける。1909年(明治42年)に結婚する。
1913年(大正2年)に博文社を退社する。1915年(大正4年)から1917年(大正6年)まで読売新聞婦人部長を務める。1924年(大正13年)には金星堂「世界文学」を主宰し、『少年国史物語』など児童文学も手がける。1925年(大正14年)、川合仁、中村星湖らと甲州文化人の懇親団体である山人会を設立する。『山梨日日新聞』の文芸欄選者も務める。1943年(昭和18年)には日本電報通信社出版部顧問となり、翌年には出版部長となる。1945年(昭和22年)には退社する。脳出血のため死去。
没後の1987年(昭和62年)には中村星湖文学賞とともに前田晁文化賞が設立。関係資料は山梨県立文学館に所蔵。
著作
[編集]- 田山花袋と共著『評釈 新古文範』(博文社 1909)
- 『モウパツサン集』(博文館 1911)
- 『チエエホフ集』(博文館 1912)
- 『途上』(忠誠堂 1913)
- 『キイランド集』(博文館 1914)
- ゴンクール『陥穽』(博文館 1916)
- モーパッサン『兄の憂鬱(ピエルとジャン)』(金星堂 1922)のち青磁社
- 『遠望』(摩雲巓書房 1923)
- ヴァン・ルーン『世界文明史物語』(早稲田大学出版部 1925)のち角川文庫
- アンリ・ファーブル『科学物語』(冨山房 1927)のち木鶏社
- モーパッサン『生の誘惑』(岩波書店 1931)のち青磁社
- 『少年国史物語』全5巻(早稲田大学出版部 1933~36)
- 『明治大正の文学人』(砂子屋書房 1942)
- ゴンクール『ジェルミニイ・ラセルトゥ』(南北社 1948)
- デ・アミーチス『愛の学校 クオレ物語』(実業之日本社 1949)のち岩波少年文庫
- ヴァン・ルーン『聖書物語』(岩波文庫 1953)
- 『鯛と黒鯛』(山人会 1959)
参考文献
[編集]- 『前田晁・田山花袋・窪田空穂 雑誌「文章世界」を中心に』山梨県立文学館、1997年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 早稲田と文学(前田晁) - ウェイバックマシン(2009年7月10日アーカイブ分) - 早稲田大学