前田純孝
表示
前田 純孝 まえだ すみたか | |
---|---|
ペンネーム | 翠溪(号) |
誕生 |
1880年4月3日 兵庫県二方郡諸寄村 |
死没 | 1911年9月25日(31歳没) |
最終学歴 | 東京高等師範学校国漢科[1] |
前田 純孝(まえだ すみたか、まえだ じゅんこう、1880年4月3日 - 1911年9月25日[1])は、明治期の日本の歌人。兵庫県二方郡諸寄村(現・新温泉町)出身[2]。兵庫県師範学校を経て東京高等師範学校に進学し[2]、学生時代から新詩社の「明星」に短歌や長詩を発表する[2]。卒業後は大阪府立島之内高等女学校(現・大阪府立夕陽丘高等学校)の教頭に着任するも、多忙のために倒れる[2]。貧困と病(結核)に苦しんだ末に早世した[2]。その才能は与謝野鉄幹をして「東の啄木、西の翠溪(すいけい)」と言わせしめたほどであった[2][3]。
出身地である新温泉町には前田純孝(翠渓)歌碑があり[4]、「前田純孝賞」学生短歌コンクールを開催している[5]。
脚注
[編集]- ^ a b 『前田 純孝』 - コトバンク
- ^ a b c d e f “前田純孝 | 新温泉町ゆかりの先人(資料) | 添付資料 | 新温泉町”. www.town.shinonsen.hyogo.jp. 2021年1月15日閲覧。
- ^ “没後百年 前田純孝追悼の集い”. 2021年1月15日閲覧。
- ^ ひょうごの環境 浜坂 文学めぐりのみち 兵庫県、2024年10月29日閲覧。
- ^ “前田純孝賞 | 前田純孝賞 | 芸術・文化 | 教育・文化 | 新温泉町”. www.town.shinonsen.hyogo.jp. 2022年4月26日閲覧。