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副島保彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

副島 保彦(そえじま やすひこ)は、日本ボクサーである。出生地:佐賀県、出身地:神奈川県

経歴は、神奈川県藤沢市立鵠沼中-横浜高校中央大学-群馬県。

神奈川県在住時、小学校からボクシングを始める。

1980年モスクワオリンピック日本代表[1]

戦績186勝13敗 (110RSC・KO)

主な実績

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日本代表としての主な国際大会

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  • 1977年 - 第8回アジア大会(タイ・バンコク)。
  • 1979年 - 世界選手権(プレ・オリンピック-モスクワ)。
  • 1980年 - 第9回アジア選手権(インド・ボンベイ)。
  • 1980年 - モスクワオリンピックライトウェルター級の代表となるが、日本のボイコットにより幻となる。
他多数

主な表彰

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  • 1977年 - 神奈川スポーツ賞。
  • 1978年 - ボクシングライターズクラブ新鋭賞。
  • 1980年 - ボクシングライターズクラブ最優秀選手賞。
  • 1981年 - ボクシングライターズクラブ最優秀選手賞。

エピソード

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当時不良の巣窟として知られていた横浜高校の中でも3学年後輩の愛甲猛が「野球部キャプテンの門崎っていう人と、ボクシング部の副島、この2人はどうしようもないくらいワルかった」と後年振り返るほどの悪童として知られていた[2]

脚注

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  1. ^ a b モスクワ五輪のホープ 副島、貫禄の王座に 読売新聞 1980年11月28日朝刊17ページ
  2. ^ 東邦出版『KAMINOGE』vol.65 p54-68

関連項目

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