割塚古墳 (大和郡山市)
割塚古墳 | |
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墳丘 | |
所在地 | 奈良県大和郡山市千日町 |
位置 | 北緯34度38分37.33秒 東経135度45分27.00秒 / 北緯34.6437028度 東経135.7575000度座標: 北緯34度38分37.33秒 東経135度45分27.00秒 / 北緯34.6437028度 東経135.7575000度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径49m 高さ4.5m |
埋葬施設 |
片袖式横穴式石室 (内部に刳抜式家形石棺) |
出土品 | 鏡・垂下式耳飾・切子玉・馬具・挂甲・鉄鏃・須恵器 |
築造時期 | 6世紀前半-中葉 |
史跡 | 大和郡山市指定史跡「割塚古墳」 |
地図 |
割塚古墳(わりづかこふん)は、奈良県大和郡山市千日町にある古墳。形状は円墳。大和郡山市指定史跡に指定されている。
概要
[編集]古墳名 | 形状 | 築造時期 | 史跡 |
---|---|---|---|
小泉大塚古墳 | 前方後円墳 | 3c末-4c初頭 | 県指定 |
富雄丸山古墳 | 円墳 | 4c後半 | なし |
郡山新木山古墳 | 前方後円墳 | 4c末-5c初頭 | 陵墓参考地 |
六道山古墳 | 前方後円墳 | 5c末-6c初頭 | なし |
小泉東狐塚古墳 | 前方後円墳 | 6c前半-中葉 | (消滅) |
割塚古墳 | 円墳 | 6c前半-中葉 | 市指定 |
小泉狐塚古墳 | 円墳 | 6c後半-7c初頭 | (消滅) |
笹尾古墳 | 円墳 | 6c末-7c前半 | なし |
奈良盆地西縁、矢田丘陵東麓の台地先端部に築造された大型円墳である[2]。古墳名は、墳丘中央部に南北に深い縦溝があったことに由来する[2]。1968年(昭和43年)に宅地造成に伴う発掘調査が、2020年度(令和2年度)以降に測量・発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径49メートル・高さ4.5メートルを測る[2]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方向に開口し、内部に刳抜式家形石棺を据える[2]。調査では、棺内から鏡・垂下式耳飾・切子玉など、石棺周辺から馬具・挂甲・鉄鏃・須恵器などが検出されており、特に鏡・垂下式耳飾という優品を伴う点で注目される[2]。築造時期は古墳時代後期の6世紀前半-中葉頃と推定される[1]。
古墳域は1978年(昭和53年)に大和郡山市指定史跡に指定された。現在では石室は埋め戻され、墳丘は史跡整備のうえで古墳公園として公開されている。
遺跡歴
[編集]- 1968年(昭和43年)、宅地造成に伴う発掘調査(奈良県立橿原考古学研究所、1969年に概要報告)。
- 1978年(昭和53年)5月3日、大和郡山市指定史跡に指定。
- 2020年度(令和2年度)、測量調査(大和郡山市教育委員会)[3]。
- 2021年度(令和3年度)以降、発掘調査(大和郡山市教育委員会)[3]。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口した(現在は埋め戻し)。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:13.6メートル
- 玄室:長さ6.6メートル、幅3メートル
- 羨道:長さ7メートル、幅1.5メートル
石室上半部は失われており、調査では下半部の石積みのみが検出されている[2]。玄室床面には、石を敷いたうえで中央やや北寄りに刳抜式家形石棺を据える[2]。また羨道では、中央に排水溝が検出されている[2]。
玄室内の凝灰岩製の刳抜式家形石棺は、長さ2.7メートル・幅1.4メートル・高さ1.4メートルを測る[1]。調査では、棺内から鏡・垂下式耳飾・切子玉などが、石棺周辺から馬具・挂甲・鉄鏃・須恵器などが検出されている[2]。
文化財
[編集]大和郡山市指定文化財
[編集]- 史跡
- 割塚古墳 - 1978年(昭和53年)5月3日指定(市史第4号)。
関連施設
[編集]- 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(橿原市畝傍町) - 割塚古墳の出土品を保管・展示。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板(大和郡山市、1993年設置)
- 「割塚古墳」『日本歴史地名大系 30 奈良県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490301。
- 「古墳時代 > 割塚古墳」『郡山の歴史と文化 -平和のシンボル、金魚が泳ぐ城下町。-』大和郡山市、2022年。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 小島俊次「割塚古墳の調査(概要)」『青陵』第14号、橿原考古学研究所、1969年、2頁。
外部リンク
[編集]- 割塚古墳 - 大和郡山市ホームページ