力石平三
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力石 平三(りきいし へいぞう、1898年 - 1975年2月16日[1])は芥川龍之介作の「トロツコ」(1922年)、「百合」(1922年)、「一塊の土」(1924年)の元となる作品を芥川に提供したことで知られる人物である。本名は力石平蔵[1]。
来歴
[編集]神奈川県足柄下郡湯河原町出身[1]。家業は石材業で、平三は高等小学校卒業後は家業に従事したが、在学中はトップに近い成績で読書好きだったという[1]。しかし、14歳時に父、18歳時に母が死去した[1]。22歳の時に近くの2歳下の女性と親しくなり(先方の親が交際に否定的だったため)、二人で「駆け落ち」の形で上京した[1]。相手も力三同様に文学好きで、そろって芥川家に出入りするようになった(後に結婚)[1]。芥川は書簡で力三と思われる人物の就職斡旋を依頼したり、力三は芥川が湯河原で湯治をする際の手配、芥川の自宅の家政婦の手配をするなど、両者は親しい関係を築く[1]。「トロツコ」の末尾の段落に「(主人公の)良平は(中略)校正の朱筆を握つてゐる。」とあるのは、芥川の執筆当時力石が出版社の校正係をしていたことに基くものであると見られている。
本人の作品としては1926年(大正15年)第1回『文藝春秋』懸賞小説募集に「父と子と」を「力石平三」の名で応募し『文藝春秋』大正15年2月号の創作欄に掲載されているものがある[1]。
戦後は横浜市の運輸会社に一時期勤務した後、子孫に囲まれて余生を送った[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 石井茂「芥川龍之介の小説「トロッコ」の基礎的研究」『横浜国立大学人文紀要 第二類 語学・文学』 (27)、横浜国立大学、 1980年11月、pp.1-14, (ネット上で閲覧できる)
- 石井茂「芥川龍之介「トロッコ」の成立と原作者」『国語科教育』28巻、1981年、pp.51-58(ネット上で閲覧できる)