加倉一馬
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(加倉克馬から転送)
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県大牟田市 |
生年月日 | 1957年10月19日(67歳) |
身長 体重 |
172 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1975年 ドラフト4位 |
初出場 | 1979年6月23日 |
最終出場 | 1983年10月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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加倉 一馬(かくら かずま、1957年10月19日 - )は、福岡県大牟田市[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。1979年から1981年途中までの登録名は加倉 克馬(読み同じ)。
来歴・人物
[編集]柳川商業高等学校では、エースとして1975年春の選抜に出場。1回戦で堀越高に敗退[2]。同年夏は右翼手として県予選決勝に進出するが、小倉南高に敗れる[3]。1年下のチームメートに立花義家、久保康生がいた。
同年のドラフト4位で太平洋クラブライオンズ に投手として入団[1]。入団後すぐに打撃と巧守を活かすため外野手に転向。しかし入団後は怪我のため出遅れ、なかなか一軍に上がれなかった。1979年には中堅手、右翼手として5試合に先発出場。また同年のジュニアオールスターゲームで本塁打を放ち、MVPを獲得している[1]。
1982年オフ、金銭トレードで阪神タイガースに移籍[1]。1983年は左翼手として2試合に先発、守備固め等でも起用される。翌1984年は吉竹春樹・北村照文・田中昌宏ら若手の台頭に加えロッテから弘田澄男が移籍し、外野手が充足したため一軍出場は無く、同年限りで現役引退となった。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1979 | 西武 | 32 | 35 | 33 | 4 | 6 | 0 | 1 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 9 | 1 | .182 | .229 | .242 | .471 |
1983 | 阪神 | 36 | 16 | 15 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | .000 | .063 | .000 | .063 |
通算:2年 | 68 | 51 | 48 | 6 | 6 | 0 | 1 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 11 | 3 | .125 | .176 | .167 | .343 |
表彰
[編集]- ジュニアオールスターゲームMVP:1回(1979年)
記録
[編集]- 初出場:1979年6月23日、対阪急ブレーブス前期13回戦(西武ライオンズ球場)、6回裏に立花義家の代打として出場
- 初打席・初安打・初打点:同上、6回裏に三浦広之から
- 初先発出場:1979年7月7日、対近鉄バファローズ後期2回戦(西武ライオンズ球場)、7番・右翼手として先発出場
背番号
[編集]- 33 (1976年 - 1978年)
- 56 (1979年 - 1982年)
- 45 (1983年 - 1984年)
登録名
[編集]- 加倉 一馬 (1976年 - 1978年、1981年途中 - 1984年)
- 加倉 克馬 (1979年 - 1981年途中)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 加倉一馬 - NPB.jp 日本野球機構