加藤勇次郎
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加藤 勇次郎 | |
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生誕 |
1857年11月26日 日本肥後国菊池郡広瀬村(現・菊池市) |
死没 |
1934年1月16日(76歳没) 日本 岸和田市岸城町 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 熊本洋学校、同志社英学校、マサチューセッツ工科大学 |
職業 | 牧師、教育者、技士、実業家 |
加藤 勇次郎(かとう ゆうじろう、1857年11月26日(安政4年10月10日) - 1934年(昭和9年)1月16日)は、熊本バンドの一人である。
生涯
[編集]熊本洋学校時代
[編集]1857年肥後国菊池郡広瀬村(現・菊池市)に生まれる。1872年熊本洋学校に入学し、1876年(明治9年)1月30日に花岡山で奉教趣意書に署名する。L.L.ジェーンズから洗礼を受ける。
同志社学生時代
[編集]1876年9月に同志社英学校に入学する。海老名弾正、小崎弘道、森田久万人らと西京第三公会に転入会する。
同志社教員時代
[編集]1879年(明治12年)、同志社英学校を第1期生として卒業する。同志社の同志社女学校、予備学校、普通学校の教員になり、英語、数学、物理を教えた。
1883年(明治16年)熊本バンドの海老名弾正、宮川経輝、横井時雄、金森通倫、上原方立らと一緒に、東京の新栄教会で開催された、第三回全国基督教信徒大親睦会に幹部として出席する。
1890年(明治23年)、同志社校友会の創立の際に、初代会長に就任する。1890年、同志社より物理学専修のためアメリカ合衆国に派遣される。渡米し、マサチューセッツ工科大学で学ぶ。
1893年(明治26年)に同志社ハリス理化学校物理学教授に就任するが、翌年退職する。と同時に、キリスト教信仰を捨てる。
実業家時代
[編集]同志社退職後、京都水利事務所技師に加えられる。また、京都電気鉄道などにも加わった。その後、門司市で東洋商会を経営する。1930年に引退し、1934年に岸和田市岸城町で死没した。
参考文献
[編集]- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
関連文献
[編集]- 同志社大学人文科学研究所 編『熊本バンド研究 日本プロテスタンティズムの一源流と展開』487頁、みすず書房、1965年
- 本井康博『徳富蘇峰の師友たち 「神戸バンド」と「熊本バンド」』教文館、2013年
外部リンク
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