加藤忠重
表示
加藤 忠重(かとう ただしげ、生年不詳 - 延宝7年4月19日〈1679年5月28日〉)は、江戸時代前期の武士、旗本。通称は五左衛門。加藤重常の四男。兄弟に加藤重正、加藤正光、加藤重勝。子に加藤重頼がいる。
徳川家光に仕え、小十人を勤め、蔵米100俵、月俸3口(こう)賜る。後に納戸番となる。その後番の役目を辞して小普請となる。延宝7年(1679年)死去。赤坂の道教寺[1]に葬られた。以後、道教寺が代々の葬地となる。
脚注
[編集]- ^ “道教寺|港区赤坂にある真宗大谷派寺院”. 猫の足あと. 2020年10月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜. 第5輯』、國民圖書、1923年、48頁。国立国会図書館デジタルコレクション。