加藤重勝
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加藤 重勝(かとう しげかつ、慶長19年(1614年) - 延宝7年6月28日〈1679年8月4日〉)は、江戸時代前期の武士、旗本。通称は権左衛門。重遠とも称す。加藤重常の三男。兄弟に加藤重正、加藤正光、加藤忠重。養子に加藤重善がいる。
寛永3年(1626年)数え13歳で徳川秀忠に拝謁。寛永9年(1632年)より徳川家光に仕え、土蔵番を勤める。寛永20年(1643年)、番を免ぜられ、兄加藤重正に従い馬術の修行をするよう命じられる。正保元年(1644年)蔵米150俵賜る。のちに馬預となり、万治3年(1660年)に50俵加算され、合わせて蔵米200俵となった。寛文元年(1661年)以降、お役目で馬を求めてしばしば陸奥国に赴く。延宝7年(1679年)死去。享年66。武蔵国多摩郡高井戸(現在の東京都杉並区永福1丁目)の永福寺に葬られた。以後永福寺が代々の葬地となった。加藤重勝は永福寺の中興開基として伝わる[1]。下高井戸村に拝領地があったいう[2]。
脚注
[編集]- ^ すぎなみ区役所. “27 永福寺 【寺院】(永福1丁目25番2号)”. 杉並区公式ホームページ. 2020年10月28日閲覧。
- ^ “永福寺|杉並区永福にある曹洞宗寺院、地名永福由来寺院”. 猫の足あと. 2020年10月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜. 第5輯』、國民圖書、1923年、47頁。国立国会図書館デジタルコレクション。