加藤淳造
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加藤 淳造(かとう じゅんぞう、1852年(嘉永5年3月[1][2]) - 1914年(大正3年)10月10日[2])は、日本の医師。政治家、衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]安房国平郡(のち千葉県安房郡平群村→富山町、現・南房総市)生まれ[1]。海軍軍医寮で学ぶ。千葉県立千葉病院医学校医員となる。千葉県会議員、安房外三郡医師会長を務めた[2]。
1892年の第2回衆議院議員総選挙において千葉8区から弥生倶楽部所属で立候補して当選する[3]。衆議院議員を1期務め、1894年3月の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1914年に死去した。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。