加賀卯之吉
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加賀 卯之吉(かが うのきち、旧姓・山室、1867年7月4日(慶応3年6月3日)[1] - 1941年(昭和16年)11月10日[2])は、日本の政治家・衆議院議員(憲政会)[3]、ジャーナリスト。族籍は三重県平民[1]。
経歴
[編集]伊勢国桑名(後・三重県桑名郡桑名町、現・桑名市)生まれ[3]。山室今助の長男[4]。1884年、加賀金七の養子となり、1886年、養母の後を承け家督を相続した[4]。英漢学を修めた[1]。桑名郵便局雇、同局長代理、名古屋逓信官吏局員を務めた[5]。その後、『伊勢新聞』記者を経て、日本商業新報を創刊し社長となった[2]。
経済記者として、毎年8月から11月までの約90日間に渡って全国の米作の状況や農家の財政状況を視察して、次年度の需給の予測とその対策を発表し[5]、『福岡日日新聞』『関門日日新聞』『神戸新聞』『やまと新聞』『中外日報』『帝国通信』などに記事を提供した[5]。
1912年(明治45年)、衆議院補欠選挙で当選。第12回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。
その他、台湾総督府嘱託米穀局附[2]、商業通信社常務取締役を務めた[4]。
人物
[編集]宗教は真宗[4]。住所は大阪市北区堂島中通[1]、東京市世田谷区北沢[4]。
家族・親族
[編集]- 加賀家
- 養父・金七[1]
- 妻・こま(1867年 - ?、養父・金七の長女)[1]
- 庶子男・一郎[1](1898年 - 1946年、生母は大阪の山田ひさよ[1]、陸上選手、アントワープオリンピック日本代表)[6]
- 庶子男、二男・二郎[1][7](1900年 - 1962年、生母は大阪の山田ひさよ[1]、松竹元常務、歌舞伎座元専務・歌舞伎座映画プロデューサー)[6]
- 庶子男・四郎[1](1904年 - ?、生母は大阪の山田ひさよ[1]、大映元プロデューサー)[6]
- 庶子女・光子[1](1902年 - ?、生母は大阪の山田ひさよ[1])
- 孫
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録 第4版』か14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月20日閲覧。
- ^ a b c 『衆議院議員名鑑』
- ^ a b 『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』131頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年5月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第11版 上』カ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月20日閲覧。
- ^ a b c 『現代日本の政治家』
- ^ a b c d 『NTV火曜9時 アクションドラマの世界 「大都会」から「プロハンター」まで』(2015年、DU BOOKS)p.16 - 17
- ^ a b 『人事興信録 第14版 上』カ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月21日閲覧。
- ^ “わたしと司法”. 関東弁護士会連合会. 2012年7月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 細井肇『現代日本の政治家』国光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。