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勝田康三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かつた こうぞう
勝田 康三
生年月日 (1928-10-26) 1928年10月26日
没年月日 (2005-06-29) 2005年6月29日(76歳没)
出生地 日本の旗 日本
職業 プロデューサー
ジャンル テレビドラマ
著名な家族 ピグモン勝田
備考
『収容所から来た遺書』第20回 放送文化基金賞本賞受賞
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勝田 康三(かつた こうぞう、1928年10月26日 - 2005年6月29日[1])は、日本テレビプロデューサー、元テレビ朝日社員。

来歴・人物

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明治大学中退、専修大学中退。小説家劇作家三好十郎に演劇面で師事[2]

1960年日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)に入社[1]。入社当初は外画部に所属、『ララミー牧場』を担当。初期の頃は後の制作局長・田中亮吉との協働で多くのヒットドラマの制作に係わる。製作だけでなく、テレビドラマの演出を務めたこともあった。その後一本立ちし、社名が全国朝日放送になった後に制作局次長、総合プロデューサーを務める。SEDICを経た後、東映の代表取締役会長・泊懋にスカウトされる形で東映に移り、シニアプロデューサー、東映Vシネマ企画プロデューサーを務める[2]1993年、プロデュース作品『収容所から来た遺書』(1993年8月13日 フジテレビ系放映)で第20回 放送文化基金賞本賞受賞[3]

2005年6月29日、胃癌のため死去[1]

お笑い芸人大川興業元メンバーのピグモン勝田は実子。妻も一時期、女優として活動していた経験があった[3]

担当作品・プロデュース作品

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特に局名が記載されているもの以外は、全てテレビ朝日(NET)放映の作品[2]

テレビドラマ

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ビデオ映画

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その他

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脚注

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  1. ^ a b c 勝田康三氏死去…人気時代劇ドラマを数々手がける”. 夕刊フジ (2005年7月13日). 2017年2月9日閲覧。
  2. ^ a b c アマノシチローの「なるほどさん」シリーズ "勝田康三の世界"”. アマノシチロー「なるほどさん」雑記帖 (2005年8月21日). 2017年2月9日閲覧。
  3. ^ a b スポーツニッポン 1994年10月25日 23面