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勝野実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝野 実
生誕 1891年6月17日
日本の旗 日本 東京府
死没 (1957-08-01) 1957年8月1日(66歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1912年 - 1946年
最終階級 海軍少将
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勝野 実(かつの みのる、1891年明治24年)6月17日[1] - 1957年昭和32年)8月1日[1])は、日本海軍軍人。最終階級は海軍少将位階勲等功級は従四位勲二等功四級[2][3]

経歴

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東京府出身[1]1912年(明治45年)7月、海軍兵学校第40期を卒業し[2]1913年(大正2年)12月、海軍少尉に任官[4]。その後海軍砲術学校高等科を卒業し[3]、「韓崎」分隊長[3]、「時津風」「第3駆逐艦」各砲術長兼分隊長[3]、「白露」駆逐艦長などを歴任した[3]1926年(大正15年)12月、海軍少佐進級と同時に「」駆逐艦長に着任し[3]、以後「第二号駆逐艦」長[3]、「鳥羽」艦長[3]、「夕月」駆逐艦長[3]、「大和」運用長などを歴任した[3]1932年(昭和7年)12月に海軍中佐に進級し[3]、海軍兵学校副官[3]、「青葉」副長などを経て[3]1937年(昭和12年)12月に海軍大佐に進級した[3]

1939年(昭和14年)12月に舞鶴海兵団長に就任し[3]1940年(昭和15年)11月に第16防備隊司令(第2遣支艦隊・海南島根拠地隊[5])を経て[3]1941年(昭和16年)7月に第16警備隊司令(海南警備府[6])に就任した[3]1942年(昭和17年)9月15日横須賀第二海兵団長に就任し[3]11月1日に海軍少将に進級した[3]1943年(昭和18年)4月に第7連合特別陸戦隊司令官に就任し[3]、南方方面に出征[1]。同年9月1日に横須賀第二海兵団長に戻り[3]1944年(昭和19年)1月に同海兵団は武山海兵団と改称された[3]。同年8月1日支那方面艦隊司令部附となり[7]8月18日上海海軍特別陸戦隊司令官に就任し[7]、終戦を迎えた。1946年(昭和21年)4月30日に予備役に編入された[7]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[8]

年譜

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脚注

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  1. ^ a b c d 福川 2000, 110頁.
  2. ^ a b 外山 1981, 170頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq br bs bt bu bv bw bx by bz ca cb 海軍歴史保存会 1995, 796頁.
  4. ^ 外山 1981, 163頁.
  5. ^ 坂本、福川 2003, 272頁.
  6. ^ 坂本、福川 2003, 312頁.
  7. ^ a b c d e f 海軍歴史保存会 1995, 797頁.
  8. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」28頁。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。ISBN 482950272X 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500034 
  • 海軍歴史保存会 編集『日本海軍史 第9巻』海軍歴史保存会、1995年。 
  • 坂本正器、福川秀樹 編著『日本海軍編制事典』芙蓉書房出版、2003年。ISBN 4829503300