北九州女子短期大学
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北九州女子短期大学 | |
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大学設置 | 1968年 |
創立 | 1948年 |
廃止 | 1974年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人篠原学園 |
本部所在地 | 福岡県北九州市小倉南区守恒477[注釈 1] |
学部 | 被服科 |
北九州女子短期大学(きたきゅうしゅうじょしたんきだいがく)は、福岡県北九州市小倉南区守恒477[注釈 1]に本部を置いていた日本の私立大学である。1968年に設置され、1974年に廃止された。
概要
[編集]大学全体
[編集]教育および研究
[編集]学風および特色
[編集]- 北九州女子短期大学は「創立以来の伝統と実績を踏まえ、多彩な教授陣や静かな環境のもとで高度社会のニーズに応え且つ衣服および生活の美を見出し・創造できる女性の育成」が教育のねらいとなっていた[4]。
沿革
[編集]基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 福岡県北九州市小倉南区守恒47[注釈 1]
象徴
[編集]- 北九州女子短期大学のカレッジマークは右記資料を参照のこと[注 4]
年度別学生数
[編集]通学課程
[編集]- | 入学定員 | 総定員 | 学生数 | 出典 |
---|---|---|---|---|
1968年 | 120 | 120 | 女71 | [14] |
1970年 | 120 | 240 | 女140 | [15] |
1971年 | 120 | 240 | 女103 | [16] |
1972年 | 120 | 240 | 女61 | [17] |
1973年 | 120 | 120 | 女28 | [18] |
教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]- 被服科 入学定員120名[注 5]
専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
取得資格について
[編集]大学関係者と組織
[編集]大学関係者一覧
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施設
[編集]キャンパス
[編集]対外関係
[編集]系列校
[編集]- 小倉ドレスメーカー女学院
- 徳力団地幼稚園:但し、現在は学校法人黒木学園に組織変更されている[21]。
卒業後の進路について
[編集]就職について
[編集]- 服飾業界への就職者が多かったようである。
注釈
[編集]注釈グループ
[編集]- ^ a b 廃校後のキャンパス跡地は北九州市立守恒小学校の建設に利用された。ちなみに、それの現在地は小倉南区星和台二丁目1番1号となっている[12]。
- ^ a b 出典[2][3]。
- ^ 現在の文部科学省。
補足
[編集]出典
[編集]- ^ 日本団体名鑑 昭和54年版(第4版)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和50年度 (短期大学資料)より。
- ^ 日本大学大鑑 1980年度版より。
- ^ a b c d e 晶文社'1974.4, p. 480.
- ^ 全国短大・高専職員録 昭和44年版より。
- ^ 福岡県教育百年史 第7巻 (年表・統計編)より。
- ^ ファッション年鑑 1962より。
- ^ 産経会社年鑑 第6版より。
- ^ 文部省学術局'1968.
- ^ 大学資料 (27)より。
- ^ 短期大学教育 (32)より。
- ^ 北九州市立守恒小学校より。
- ^ 廣潤社'1969.10, p. 235.
- ^ 文部省'68, p. 46.
- ^ 文部省'70, p. 47.
- ^ 文部省'71, p. 47.
- ^ 文部省'72, p. 49.
- ^ 文部省'73, p. 50.
- ^ 短期大学一覧 昭和49年度 (短期大学資料)より。
- ^ 短期大学教育 (32)より。
- ^ 徳力団地幼稚園より
参考文献
[編集]全国学校総覧
[編集]- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和44年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和46年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和47年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和48年版』東京教育研究所 。
- 文部省『全国学校総覧 昭和49年版』東京教育研究所 。
全国短期大学高等専門学校一覧
[編集]- 文部省『短期大学一覧 昭和43年度』文部省大学学術局技術教育課 。
短期大学受験案内(晶文社)
[編集]- 晶文社編集部 編『全国短期大学受験案内 昭和50年度用』晶文社 。
短期大学案内(梧桐書院)
[編集]- 梧桐書院編集部『全国短期大学案内 1999年版』梧桐書院 。
全国短期大学受験要覧(廣潤社)
[編集]- 広潤社編集部『全国短期大学受験要覧 昭和45年版』廣潤社 。