北勝森文仁
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基礎情報 | ||||
四股名 | 鶴賀 → 北勝森 | |||
本名 | 鶴賀 文仁 | |||
生年月日 | 1971年9月8日(53歳) | |||
出身 | 青森県西津軽郡 | |||
身長 | 194cm | |||
体重 | 198.5kg | |||
所属部屋 | 八角部屋 | |||
得意技 | 突き、押し | |||
成績 | ||||
現在の番付 | 引退 | |||
最高位 | 東幕下11枚目 | |||
生涯戦歴 | 86勝84敗12休(26場所) | |||
データ | ||||
初土俵 |
1994年1月場所 (幕下60枚目格付出) | |||
引退 | 1998年3月場所 | |||
備考 | ||||
北勝森 文仁(ほくともり ふみひと、1971年9月8日 -)は、青森県西津軽郡出身で八角部屋に所属した元大相撲力士。本名は鶴賀 文仁(つるが ふみひと)。身長194cm、体重198.5kg。得意技は突き、押し。最高位は東幕下11枚目(1996年1月場所)。
来歴
[編集]小学校1年で相撲を始めた[1]。青森県立木造高校在学時には、県大会や東北大会で優勝するなど活躍した。日本大学進学当初は社会科教諭を目指していたが、1年時に相撲部へレギュラー入りしたことでプロを志すようになった[1]。大学在学中には多数のタイトルを獲得し、特に主将を務めた4年次には、全国学生相撲選手権大会で同志社大学4年の山本敏生(後の関脇・土佐ノ海)を破って学生横綱に輝き、さらに世界相撲選手権大会重量級でも優勝を果たした。
大学卒業を前に八角部屋に入門し、1994年1月場所幕下付出で初土俵。体重は205kgで当時史上最重量の新弟子として注目を集めた。
しかし怪我などの影響で思うような成績が残せず、1998年3月場所限りで引退した。
鶴賀の入門を嚆矢として、翌年には堤内康仁(北勝光)、翌々年には熊谷涼至(海鵬)、その次の年には原田治(北勝岩)と4年連続で日大相撲部出身者が八角部屋に入門。八角部屋に学生相撲出身者が増えるきっかけを作った。
主な成績
[編集]- 通算成績:86勝84敗12休(26場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1994年 (平成6年) |
幕下付出60枚目 5–2 |
西幕下41枚目 3–4 |
西幕下54枚目 6–1 |
東幕下27枚目 5–2 |
西幕下16枚目 2–5 |
東幕下33枚目 2–5 |
1995年 (平成7年) |
西幕下55枚目 6–1 |
東幕下28枚目 4–3 |
東幕下22枚目 4–3 |
西幕下17枚目 2–5 |
東幕下35枚目 5–2 |
西幕下20枚目 5–2 |
1996年 (平成8年) |
東幕下11枚目 1–6 |
西幕下39枚目 1–6 |
東三段目7枚目 2–5 |
西三段目31枚目 6–1 |
東幕下52枚目 2–5 |
東三段目14枚目 3–4 |
1997年 (平成9年) |
西三段目32枚目 5–2 |
西三段目7枚目 1–6 |
東三段目46枚目 3–4 |
西三段目60枚目 0–2–5 |
西序二段5枚目 6–1 |
東三段目50枚目 2–5 |
1998年 (平成10年) |
東三段目74枚目 5–2 |
東三段目42枚目 引退 0–0–7 |
x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 1994年(平成6年)1月~1996年(平成8年)11月 - 鶴賀 文仁
- 1997年(平成9年)1月~1998年(平成10年)3月 - 北勝森 文仁