北大呑村
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きたおおのみむら 北大呑村 | |
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廃止日 | 1954年3月31日 |
廃止理由 |
編入合併 北大呑村、南大呑村、崎山村、高階村 → 七尾市 |
現在の自治体 | 七尾市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方(北陸地方) |
都道府県 | 石川県 |
郡 | 鹿島郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,235人 (1953年) |
隣接自治体 | 石川県:七尾市、鹿島郡南大呑村、崎山村 |
北大呑村役場 | |
所在地 | 石川県鹿島郡北大呑村庵 |
座標 | 北緯37度02分27秒 東経137度02分47秒 / 北緯37.04086度 東経137.04628度座標: 北緯37度02分27秒 東経137度02分47秒 / 北緯37.04086度 東経137.04628度 |
ウィキプロジェクト |
村の名称は、江戸時代の「大呑荘」の北側だったことによる[1]。
地理
[編集]- 現在の七尾市の東部に位置する。
- 海岸沿いは漁村で漁業が主要産業であり、ブリ、マグロ、タラなどの水揚げが多かった。山間部は林業が盛んで、木炭、竹などが産出された[1]。
- 山:伊掛山 (252.3m)
- 河川:八幡川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、鹿島郡佐々波村、菅沢村、須能村、麻生村、小栗村、清水平村、外林村、庵村、江泊村、柑子山村及び大野木村を廃し、その区域をもって鹿島郡北大呑村を設置する。
- 1907年(明治40年)頃 – 南隣との南大呑村と合併協議が行われたが、合併は頓挫[1]。
- 1954年(昭和29年)3月31日 - 鹿島郡北大呑村、南大呑村、崎山村及び高階村を廃し、その区域を七尾市に編入する。11大字は七尾市の町に継承。このうち、旧北大呑村字柑子山の区域は柑子町に設定する。
人口
[編集]年 | 世帯数 | 人口 |
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1889(明治22年) | 385 | 2,565 |
1920(大正9年) | 458 | 2,894 |
1953(昭和28年) | 522 | 3,235 |
経済
[編集]交通
[編集]- 二級国道160号七尾高岡線(現在の国道160号)
教育
[編集]- 北大呑村立北大呑中学校
- 北大呑村立江泊小学校
- 北大呑村立庵小学校
- 北大呑村立佐々波小学校
- 北大呑村立清水平小学校
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大日本篤農家名鑑編纂所編『大日本篤農家名鑑』大日本篤農家名鑑編纂所、1910年。