北島斉孝
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(北島齊孝から転送)
北島斉孝 きたじま なりのり | |
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生年月日 | 1863年9月11日 |
出生地 |
日本 出雲国出雲郡 (現・島根県出雲市) |
没年月日 | 1918年1月9日(54歳没) |
前職 | 神職 |
所属政党 | 公正会 |
称号 |
勲四等瑞宝章 従三位 |
配偶者 | 北島延子 |
子女 | 長男・北島貴孝 |
親族 | 義弟・冷泉為勇(貴族院議員) |
宗教 | 神道出雲教 |
在任期間 | 1908年7月1日 - 1918年11月9日 |
北島 斉孝(齊孝、きたじま なりのり、1863年9月11日〈文久3年7月29日[1][2]〉- 1918年〈大正7年〉11月9日[1][3])は、日本の神職、政治家、華族。出雲大社北島国造家76代、貴族院男爵議員。旧名・殿若丸[1]。
経歴
[編集]出雲国出雲郡(現島根県出雲市大社町)で北島国造家75代・北島脩孝の長男として生まれる[1][4][5]。父の死去に伴い1893年(明治26年)4月7日、男爵を襲爵した[1][4][6]。
1882年(明治15年)出雲大社権宮司に就任[3][5]。同禰宜、大教正、神道出雲教(現出雲教)大教主を務めた[3][5][7][8]。
1908年(明治41年)7月1日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[9][10]、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した[3][11]。
親族
[編集]栄典
[編集]勲章等
位階
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h 霞会館 1996, p. 497.
- ^ a b c d e 『大日本華族大鑑』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d 衆議院 & 参議院 1990, p. 69.
- ^ a b 人事興信所 1915, p. き35.
- ^ a b c 神社新報社 1986, p. 118–119.
- ^ 『官報』第2929号、明治26年4月8日。
- ^ 井上順孝ほか 1996, p. 416.
- ^ 國學院大學日本文化研究所 2000, p. 215.
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、17頁。
- ^ 『官報』第7504号、明治41年7月2日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、25頁。
- ^ 『官報 1916年08月21日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報 1916年08月21日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報 1889年12月12日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報 1894年05月12日』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録』(4版)人事興信所、1915年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 神社新報社 編『神道人名辞典』神社新報社、1986年。
- 衆議院; 参議院 編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館 編『平成新修旧華族家系大成』《上巻》吉川弘文館、1996年。
- 井上順孝ほか 編『新宗教教団・人物事典』弘文堂、1996年。
- 國學院大學日本文化研究所 編『神道人物研究文献目録』弘文堂、2000年。
日本の爵位 | ||
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先代 北島脩孝 |
男爵 (出雲国造)北島国造家第2代 1893年 - 1918年 |
次代 北島貴孝 |