冷泉為勇
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冷泉為勇 れいぜい ためいさ | |
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自由通信社編『輝く憲政』より | |
生年月日 | 1870年3月28日 |
出生地 |
日本 山城国京都 (現・京都府京都市) |
没年月日 | 1946年8月2日(76歳没) |
出身校 | 学習院 |
所属政党 | 研究会 |
称号 |
正二位 勲二等 |
配偶者 |
冷泉百井 冷泉福子 |
子女 | 長男・杉溪由言 |
親族 | 義兄・土御門晴榮(貴族院議員) |
在任期間 | 1911年7月10日 - 1946年8月2日 |
冷泉 為勇(爲勇、れいぜい ためいさ、1870年3月28日〈明治3年2月27日[1]〉 - 1946年〈昭和21年〉8月2日[1][2][3])は、明治から昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。幼名・治麿[4]。位階は正二位[3]。勲等は勲二等[3]。
経歴
[編集]山城国京都で侍従・冷泉為柔の長男として生まれる[1][4][5]。1886年(明治19年)9月、為勇と改名[4]。父の死去に伴い、1894年(明治27年)8月25日、子爵を襲爵[1][4][5][6]。
学習院で学んだ[5]。1911年(明治44年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[7][8]、研究会に所属して活動し死去するまで五期在任した[2][9]。
親族
[編集]- 先妻:百井(ももい、浅井政義長女、離縁)[1]
- 後妻:福子(とみこ、北島脩孝長女)[1]
- 長男:由言(旧名・為由、貴族院男爵議員、杉溪言長養子)[1]
- 長女:順子(のぶこ、井口忠次郎夫人〔離縁〕、竹内惟光夫人)[1]
- 二男:為安(子爵)[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』下巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 冷泉為柔 |
子爵 下冷泉家第2代 1894年 - 1946年 |
次代 冷泉為安 |