北条兼時 (伊具流)
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 不詳[1] |
死没 | 弘長3年6月13日[1](1263年7月19日) |
別名 | 駿河四郎[1] |
幕府 | 鎌倉幕府 |
主君 | 宗尊親王 |
氏族 | 伊具流北条氏 |
父母 | 父:北条有時、母:不詳 |
兄弟 | 時基、兼時、有泰、時景、通時、有義、有秀、時秀、兼義、国時、時盛、政有、宗兼、頼任、女子(江間越後四郎室)、田中殿、阿野殿、福頼、面乙御前、戸守、女子(北条高時室)、女子(堀口家貞室)、女子(北条時幸室) |
子 | 時澄、宗兼 |
北条 兼時(ほうじょう かねとき)は、鎌倉時代中期の北条氏の一門。
生涯
[編集]父は鎌倉幕府第2代執権・北条義時の子で第3代執権・北条泰時の弟にあたる北条有時[1]。
建長4年(1252年)4月14日、将軍・宗尊親王の鶴岳参詣の随兵を務めて以来、親王に仕えて同様の所役を果たした[1]。弘長3年(1263年)6月13日に死去[1]。