北澤興一
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北澤 興一(きたざわ こういち、1937年(昭和12年) - )は、日本の建築家[1]。長野県生まれ[1]。
1955年(昭和30年)、長野県飯田長姫高等学校建築科卒。1960年(昭和35年)、工学院大学工学部建築学科卒。1961年(昭和36年)、工学院大学建築計画専攻課程修了(天野太郎研究室)。1961年(昭和36年) - 1971年(昭和46年)、レーモンド建築設計事務所に勤務、アントニン・レーモンドに師事。 軽井沢分室(アントニン・レーモンド新スタジオ)現在の所有者。
校舎建築に際しては、「児童が喜ぶ施設を造る」を心がけている[1]。
主な作品
[編集]妻が宮城県河北町(現・石巻市)出身だった縁で、河北町内で16の建築物の建築・改修に携わった[1]。
- 鶴鳴女子高等学校校舎・体育館
- 河北町庁舎[1]
- 石巻市立河北中学校(旧・河北町立河北中学校)[1]
- 石巻市立大川小学校(旧・河北町立大川小学校)[1]
- 河北町立飯野川小学校
- 河北町立二俣小学校
- ハワイ国際会議場[1]
- 札幌市立大谷地小学校
など
脚注
[編集]参考文献
[編集]- JIA Bulletin 2006年8月号