北西戦線 (ソ連軍)
北西戦線(ロシア語: Северо-Западный фронт、北西方面軍、北西正面軍とも)は、第二次世界大戦中(独ソ戦初期~中期)にソ連北西部に設置された赤軍の方面軍級部隊である。
概要
[編集]独ソ戦勃発の1941年6月22日、沿バルト特別軍管区の部隊(第8軍、第11軍、第27軍、管区航空隊)に基づき創設。その後、第1打撃軍、第3打撃軍、第4打撃軍、第34軍、第48軍、第53軍、第27軍(再建)、第68軍、第22軍、第1戦車軍、第6航空軍、特別軍集団(指揮官:M.ホジン中将)、ノヴゴロド軍集団が配属された。
1941年の防衛戦において、戦線部隊は撃破され、縦深450kmまで後退した。同年8月、スタロドゥブスクおよびノヴゴロド・チュドフスク方面で戦闘行動を行い、9月、デミャンスク郊外で敵の攻勢を撃退した。
1941年~1942年の冬季攻勢中、戦線左翼部隊(1942年1月22日からカリーニン戦線)は、トロペツ・ホルムスク作戦を行い、その結果、約250kmに渡って前進し、南方からはデミャンスクを、北方からはルジェフ-ヴャゼムスクを奪取した。
同時期、戦線右翼部隊は、スタラヤ・ルーサ郊外で攻撃を行い、デミャンスク地区で敵集団を包囲・撃滅した。1942年2月末までに、スタラヤ・ルーサとデミャンスクの敵集団は分断され、ドイツ第6師団は包囲された。
1942年の冬の終わり、北西戦線は、ロヴァチ川に進出した後、スタラヤ・ルーサ南方及び南東部の敵の右岸橋頭堡を撃滅した。
1943年11月20日、11月15日付最高司令部スタフカの命令に基づき、北西戦線は解散され、その野戦機関はスタフカ予備に移された。
編制
[編集]- 第8軍 - 1941年6月22日~8月19日。北部戦線に移管
- 第11軍 - 1941年6月22日から
- 第27軍 - 1941年6月22日から。後に再建
- 第1打撃軍
- 第3打撃軍
- 第4打撃軍
- 第34軍
- 第48軍 - 1941年8月19日に北部戦線に移管
- 第53軍
- 第68軍
- 第22軍
- 第1戦車軍
- 第6航空軍
- 特別軍集団(指揮官:M.ホジン中将)、
- ノヴゴロド軍集団
指揮官
[編集]司令官:
- フョードル・クズネツォフ大将(1941年6月~7月)
- P.ソベンニコフ少将(1941年7月~8月)
- パーヴェル・クロチキン中将(1941年8月~1942年10月)
- セミョーン・ティモシェンコソ連邦元帥(1942年10月~1943年3月)
- イワン・コーネフ大将(1943年3月~6月)
- パーヴェル・クロチキン中将(1943年6月~11月)
軍事会議議員:
- P.ディブロフ軍団委員(1941年6月)
- V.ボガトキン軍団委員(1941年7月~1943年5月)
- F.ボコフ中将(1943年5月~11月)
参謀長:
- P.クレノフ中将(1941年6月)
- ニコライ・ヴァトゥーチン中将(1941年6月~1942年5月)
- I.シュレミン少将(1942年5月~8月)
- M.シャローヒン中将(1942年8月~10月)
- V.ズロビン中将(1942年10月~1943年3月)
- A.ボゴリュボフ中将(1943年3月~11月)
- P.イゴルキン少将(1943年11月)
外部リンク
[編集]- 60 лет Победе(ロシア語。戦勝60周年に宛てられたロシア国防省公式のHP)