北野上村
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きたのかみむら 北野上村 | |
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廃止日 | 1955年4月10日 |
廃止理由 |
編入合併 巽村、亀川村、北野上村、中野上村、南野上村 → 海南市 |
現在の自治体 | 海南市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 和歌山県 |
郡 | 海草郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,712人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 |
海草郡野上町、巽村、亀川村、中野上村、東山東村 那賀郡貴志川町 |
北野上村役場 | |
所在地 | 和歌山県海草郡北野上村大字原野 |
座標 | 北緯34度11分03秒 東経135度17分51秒 / 北緯34.18428度 東経135.2975度座標: 北緯34度11分03秒 東経135度17分51秒 / 北緯34.18428度 東経135.2975度 |
ウィキプロジェクト |
北野上村(きたのかみむら)は、和歌山県海草郡にあった村。現在の海南市の北東端、貴志川の下流域にあたる。
地理
[編集]- 山岳:大旗山、野尻山
- 河川:貴志川
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、那賀郡七山村 (和歌山県)・原野村・高津村 (和歌山県)・孟子村・野尻村 (和歌山県)・別院村・下津野村の区域をもって発足。
- 1908年(明治41年)3月9日 - 北野上村立北野上尋常高等小学校(現海南市立北野上小学校)開校。
- 1925年(大正14年)11月3日 - 北野上図書館開館。
- 1947年(昭和22年)5月3日 - 北野上村立北野上中学校(海南市立北野上中学校)開校。
- 1951年(昭和26年)10月1日 - 所属郡が海草郡に変更。
- 1954年(昭和29年) - 加伊多橋(かいたばし)竣工。北野上橋(きたのかみばし)竣工。
- 1954年(昭和29年) - 北野上村立ななさと保育園(海南市立ななさと保育所)開園。
- 1955年(昭和30年)4月10日 - 海南市に編入。同日北野上村廃止。
歴代村長
[編集]- 初代(明治21年〜)田幡彰
- 2代(明治24年〜)上山久之丞
- 3代(明治31年〜)木原徳之助
- 4代(明治33年〜)中原正一
- 5代(明治33年〜)森田元治郎
- 6代(明治37年〜)田幡正明
- 7代(明治39年〜)西居正夫
- 8代(明治43年〜)森田元治郎
- 9代(大正3年〜) 久保田光夫
- 10代(大正14年〜)宗友之助
- 11代(昭和7年〜) 岡本秀夫
- 12代(昭和13年〜)木原淳一
- 13代(昭和13年〜)榎芳三郎
- 14代(昭和14年〜)岩橋勝次郎
- 15代(昭和20年〜)久保田敏倫
- 16代(昭和26年〜昭和30年)西居俊正
海南市へ編入の経緯
[編集]昭和28年、町村合併促進法の施行に伴い、和歌山県では町村合併促進法審議会が設置され、強力な推進が図られた。海草地方では、巽村亀井村長が中心となり、隣接村に根回しを行ったが、公式には昭和29年、海草地方事務所長から各村長と各議会に対し、合併提案がなされた。これを受け、昭和30年、北野上村は海南市議会に合併の申し入れをする。同年3月6日、海南市は臨時市議会において合併を正式に決定した。1市5村の合併決議を受けて、海南市隅田市長・巽村亀井村長・亀川村樫尾村長・北野上村西居村長・中野上村尾崎村長・南野上村岩橋村長は同年4月10日からの市制施行の協定書に調印した。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 30 和歌山県
- 「北野上・山東地誌〜消え行く農村文化の次世代へのために〜」(特)自然回復を試みる会・ビオトープ孟子 平成20年3月31日発行
- 「海南市史第一巻通史編」海南市発行
- 「北野上小学校開校八十周年記念誌ななさと」北野上小学校創立八十周年記念事業実行委員会 昭和63年11月発行