千々和到
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千々和 到(ちぢわ いたる、1947年5月 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本中世史。民衆生活史、鎌倉時代の宗教・文化史など。文学修士(東京大学)[1][2]。東京大学史料編纂所教授を経て、國學院大學名誉教授。日本古文書学会理事、国史学会評議員、歴史学研究会委員、東国文化研究会代表。
東京都出身。父は東京学芸大学教授などをつとめた同じく歴史学者・千々和実。
来歴
[編集]- 東京都立新宿高等学校卒
- 1973年 - 東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
- 1973年 - 東京大学史料編纂所文部事務官教職員。
- 1974年 - 東京大学史料編纂所助手。
- 1984年 - 東京大学史料編纂所助教授。
- 1992年 - 東京大学史料編纂所教授。
- 1993年 - 東京大学史料編纂所退官。 國學院大學文学部教授。
- 2018年 - 國學院大學名誉教授。
著作
[編集]単著
[編集]編著
[編集]論文
[編集]- 「峰岡八幡宮僧形八幡像胎内納入文書について」(史学雑誌81-6、1972年)
- 「東国における仏教の中世的展開」(史学雑誌82-2、1973年)
- 「東大寺文書にみえる牛玉宝印」(南都仏教/39、1977年)
- 「金石文からみた中世の東国」(歴史学研究/別冊特集、1981年)
- 「中世民衆の意識と思想」『一揆』(東京大学出版会、1981年)
- 「「誓約の場」の再発見」(日本歴史/422、1983年)
- 「中世民衆的世界の秩序と抵抗」『講座日本歴史』(東京大学出版会、1985年)
- 「市民にとっての歴史的景観」(関東学院大学文学部紀要/48、1986年)
- 「仕草と作法 ー死と往生をめぐってー」『日本の社会史』(岩波書店、1987年)
- 「昭和初年の板碑調査」(埼玉史談36-1、1989年)
- 「改元と私年号」(歴史評論/477、1990年)
- 「北海道の板碑をめぐって」『北日本中世史の研究』(吉川弘文館、1990年)
- 「書牛玉」と「白紙牛玉」『中世をひろげる』(吉川弘文館、1991年)
- 「板碑・石塔の立つ風景 ー板碑研究の課題ー」『考古学と中世史研究』 (名著出版、1991年)
- 「神蔵牛玉宝印について」(千曲/69、1993年)
- 「入間市円照寺の板碑の「履歴書」」(國學院大學大学院紀要/25、1994年)
- 「石巻の板碑と「東北型」板碑の再検討」(六軒丁中世史研究/3、1995年)
- 「祈りと誓いの形木・牛玉宝印」『中世資料論の現在と課題』(名著出版、1995年)
- 「中世の庚申」(八潮市史研究/17、1995年)
- 「中世日本の人びとと音」(歴史学研究/691、1996年)
- 「徳川家康の起請文」(史料館研究紀要/31、2000年)
- 「霊社上巻起請文-秀吉晩年の諸大名起請文から琉球中山王起請文へ-」(國學院大學日本文化研究所紀要/88、2001年)
- 「戦国期の庚申待」(山梨県史研究/9、2001年)
- 「中世の誓約文書=起請文の、二つの系列」(國學院雑誌106-2、2005年)
- 「大師勧請起請文」『中世の社会と史料』(吉川弘文館、2005年)
- 「中世の起請文に見る神仏-起請文神文から前近代の人々の神観念を探る試み-」(日本文化と神道/2、2006年)
- 「日本の金石文研究現況」(大東文化研究/55、2006年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 千々和 到 (Itaru Chijiwa) - マイポータル - researchmap 2022年2月閲覧
- ^ 千々和到 國學院學教員紹介 2022年2月閲覧