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千坂興高

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
千坂 興高
時代 江戸時代
死没 天保5年7月22日1834年8月26日
別名 己五郎、太郎左衛門
戒名 宝乗院殿秀群日了居士
墓所 日朝寺
主君 上杉治広上杉斉定
米沢藩 江戸家老・奉行
氏族 千坂氏
父母 父:千坂清高 母:芋川正令の娘
兄弟 高容興高
深津昌郷の娘、竹俣権左衛門の娘
千坂高明
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千坂 興高(ちさか おきたか)は、江戸時代後期の米沢藩江戸家老奉行戊辰戦争当時の米沢藩奉行・軍務総督千坂高雅の祖父。

経歴

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文化2年(1805年)7月8日兄千坂高容の病気致仕により、家督相続。侍組。

文化9年(1812年)2月23日侍頭。

文化13年(1816年)11月8日江戸家老、侍頭兼帯。

文政6年(1823年)12月19日奉行。

天保2年(1831年)1月11日、上杉治広上杉顕孝の「御年譜」完成に付き、藩主から、担当した千坂興高並びに御記録方に賞賜[1]

天保5年(1834年)7月死去。 

脚注

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  1. ^ 『上杉家御年譜14』P262

出典

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  • 『上杉家御年譜23「御家中諸士略系譜」』米沢温故会 1986.1(経歴)
  • 『上杉家御年譜14(斉定公2)』米沢温故会 1981.7