千歳市立千歳小学校
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千歳市立千歳小学校 | |
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北緯42度49分07秒 東経141度38分45秒 / 北緯42.81856度 東経141.64586度座標: 北緯42度49分07秒 東経141度38分45秒 / 北緯42.81856度 東経141.64586度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 千歳市 |
設立年月日 | 1879年10月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | B101222400019 |
所在地 | 〒066-0047 |
北海道千歳市本町3丁目4-1 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
千歳市立千歳小学校(ちとせしりつ ちとせしょうがっこう)は、北海道千歳市本町三丁目4番地に所在する市立小学校。 千歳市内では最古の歴史を持つ学校である。
沿革
[編集]- 1879年 - 千歳市内の錦町1丁目付近で寺子屋が開かれる[1]。(これが千歳小学校の始まりである。)
- 1880年4月 - 千歳教育所となる[1]。
- 1881年4月 - 公立千歳教育所開業。教員1名、男子生徒10名、女子生徒1名[1]。
- 1882年7月 - 苫小牧学校千歳分校となる [1]。
- 1884年 - 千歳学校となる[1]。
- 1889年 - 簡易科小学校となる[2]。
- 1896年 - 千歳尋常小学校となる。児童数21名[3]。
- 1918年 - 高等科を併置する。児童数176名、3学級[4]。
- 1920年12月 - 根志越青年クラブを借用して、分教場を設置する。
- 1924年4月 - 分教場(根志越青年クラブ借用)が根志越特別教授場となる。
- 1929年 - 児童数214名。初めて単式編成の6学級となる[5]。
- 1941年 - 国民学校令施行により千歳国民学校となる[5]。
- 1944年 - 児童数745名、15学級編制[5]。
- 1946年4月 - 根志越特別教授場が、千歳第二国民学校として独立する。
- 1947年 - 千歳小学校と改称する[6]。
- 1952年 - 第二次世界大戦後、米軍施設での労働人口増加により児童数も急増し34学級、10月に2,000名を超える[6]。
- 1953年 - 北栄小学校を分離・独立[6]。
- 1956年 - 末広小学校を分離・独立[6]。
- 1957年 - 緑小学校へ7学級分離。児童数1600名、30学級編制[6]。
- 1960年 - 北栄分校(特殊学級)を設置する[7]。
- 1971年 - 北栄分校(特殊学級)が北進小学校として分離・独立する[7]。
- 1978年 - 開校100年記念式典を挙行する。
- 1979年 - 児童数715名、20学級編制[6]。
- 1998年 - 開校120年記念集会を開催する。
- 2008年4月 - 二学期制を導入する[8][9]。
著名な出身者
[編集]アクセス
[編集]主な進学中学校
[編集]注釈
[編集]- ^ a b c d e 千歳市史編さん委員会 編『新千歳市史 通史編』 上、千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、2010年3月19日、665 - 666頁。
- ^ 千歳市史編さん委員会 編『新千歳市史 通史編』 上、千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、2010年3月19日、668頁。
- ^ 千歳市史編さん委員会 編『新千歳市史 通史編』 上、千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、2010年3月19日、670頁。
- ^ 千歳市史編さん委員会 編『新千歳市史 通史編』 上、千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、2010年3月19日、774 - 775頁。
- ^ a b c 千歳市史編さん委員会 編『新千歳市史 通史編』 上、千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、2010年3月19日、867頁。
- ^ a b c d e f 千歳市史編さん委員会 編『増補 千歳市史』千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、1983年3月20日、862 - 863頁。
- ^ a b 千歳市史編さん委員会 編『増補 千歳市史』千歳市、北海道千歳市東雲町2丁目、1983年3月20日、882 - 883頁。
- ^ 千歳市 平成22年度進捗状況 (PDF)
- ^ 千歳市 PDFファイル(529KB) (PDF)
- ^ 市長の部屋 - 市長の姿 (千歳市)