千羽ヶ嶽宗助
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千羽ヶ嶽 宗助(ちばがたけ そうすけ、1847年3月4日(弘化4年1月18日[1]) - 1899年(明治32年)7月4日[1])は、現在の千葉県出身の大相撲力士。本名は中田 宗助(旧姓坂本)[1]。最高位は前頭筆頭。6代春日野。
来歴
[編集]下総国香取郡神崎本宿(現・千葉県香取郡神崎町)出身[1]。玉垣部屋に入門し、1868年(明治元年)11月、故郷の「神崎」の四股名で序ノ口に就く[2]。1874年(明治7年)11月、幕下二段目(現在の十両)7枚目に進み[3]、1877年(明治10年)12月に入幕した[4]。1878年(明治11年)5月に四股名を「千羽ヶ嶽」と改め、1882年(明治15年)5月に前頭筆頭まで進んだ[5]。幕内中堅力士として活躍し、1885年(明治18年)ごろ、現役のまま二枚鑑札で年寄「春日野」を襲名した[2][6]。1889年(明治22年)5月に四股名を「春日野」と改名[7]。翌1890年(明治23年)5月限りで引退し、年寄専任となった[2]。1895年(明治28年)に願人(勧進元)となった。また、地元から甥の源次郎を呼び寄せ、行司にし、自分の養子にさせた[2]。1899年(明治32年)7月に死去。「春日野」の名跡はすでに幕内格行司となっていた源次郎(木村宗四郎と改名)が継いだ。
脚注
[編集]関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 『大相撲人物大事典』ベースボールマガジン社、2001年。
- 月刊「相撲」1989年10月号『年寄名跡の代々 春日野の巻』