千葉英二
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県松山市 |
生年月日 | 1935年9月3日 |
没年月日 | 1992年1月17日(56歳没) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1954年 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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千葉 英二(ちば えいじ、1935年9月3日 - 1992年1月17日)は愛媛県松山市生まれのプロ野球選手・審判。
来歴・人物
[編集]読売ジャイアンツ花の13年組(※1938年=昭和13年入団の選手には後に歴史に名を残す選手が多くいた。)の一人で名二塁手と謳われた千葉茂の実弟。愛媛県立松山商業高等学校を卒業し1955年に中日ドラゴンズに入団するが二軍でもプレーできず1956年に退団。引退後サラリーマン生活を送っていたが1968年セントラル・リーグの関西審判部に入局し審判として球界復帰。1986年まで審判を務めた。
引退後はスポーツ用具メーカーのミズノに入社し勤務していたが1992年1月17日、56歳で急死した。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 71 (1955年)
- 62 (1956年)