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千葉道三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
千葉 道三郎
時代 江戸時代末期(幕末 )- 明治時代初期
生誕 天保6年(1835年
死没 明治5年8月17日1872年9月19日
墓所 本妙寺東京都豊島区
幕府 江戸幕府
水戸藩
氏族 千葉氏
父母 父:千葉周作
兄弟 寄蘇太郎栄次郎道三郎多門四郎
勝太郎勝胤[1]
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千葉 道三郎(ちば みちさぶろう)は、幕末剣客北辰一刀流開祖・千葉周作の三男。光胤

生涯

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次兄・栄次郎は周作存命中に別家となり、長兄・奇蘇太郎が亡くなったため、北辰一刀流宗家を継承する。性格は四子のなかで穏やかだったと伝え聞く。写真が残されていないようだが、男振りも良く、二刀も使ったという。

安政2年(1855年)に床机廻り役、その後、父の周作亡き後、大番格に進む。維新後の明治5年(1872年)、明治天皇侍従として仕える当日に38歳で死去した。墓所は東京都豊島区本妙寺に現存している。なお、長男の勝太郎は盲目のため道場の継承は行わなかった。

弟子に下江秀太郎小林誠次郎がいる。

脚注

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出典

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  1. ^ 実録北辰一刀流よみがえる北斗の剣 35p