千葉道三郎
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時代 | 江戸時代末期(幕末 )- 明治時代初期 |
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生誕 | 天保6年(1835年) |
死没 | 明治5年8月17日(1872年9月19日) |
墓所 | 本妙寺(東京都豊島区) |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 水戸藩 |
氏族 | 千葉氏 |
父母 | 父:千葉周作 |
兄弟 | 寄蘇太郎、栄次郎、道三郎、多門四郎 |
子 | 勝太郎勝胤[1] |
千葉 道三郎(ちば みちさぶろう)は、幕末の剣客。北辰一刀流開祖・千葉周作の三男。諱は光胤。
生涯
[編集]次兄・栄次郎は周作存命中に別家となり、長兄・奇蘇太郎が亡くなったため、北辰一刀流宗家を継承する。性格は四子のなかで穏やかだったと伝え聞く。写真が残されていないようだが、男振りも良く、二刀も使ったという。
安政2年(1855年)に床机廻り役、その後、父の周作亡き後、大番格に進む。維新後の明治5年(1872年)、明治天皇に侍従として仕える当日に38歳で死去した。墓所は東京都豊島区の本妙寺に現存している。なお、長男の勝太郎は盲目のため道場の継承は行わなかった。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 実録北辰一刀流よみがえる北斗の剣 35p