小林定之
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(小林誠次郎から転送)
小林 定之(こばやし さだゆき、1850年(嘉永3年)12月 - 1922年(大正11年)12月12日)は、宇都宮藩藩士、北辰一刀流剣術家、大日本武徳会剣道範士。通称は誠次郎(せいじろう)。
経歴
[編集]下野国宇都宮(現在の栃木県宇都宮市)出身。北辰一刀流千葉道三郎に師事し、道三郎から相伝を得る[1]。戊辰戦争において会津城に進軍し、官軍中村半次郎の部下に属し錦旗護衛を命ぜられる[2]。
1877年(明治10年)、西南戦争に警視庁抜刀隊隊員として従軍する[1]。1879年(明治12年)、警視庁撃剣世話掛に奉職[2]。1883年(明治16年)から1886年(明治19年)まで和歌山県に奉職し、その後再び警視庁に入る[2]。1888年(明治21年)6月時点の階級は警部補で、久松警察署勤務[3]。
東京市本所区菊川町(現在の東京都墨田区菊川)に至誠館道場を開き、剣術を指導する[1]。1902年(明治35年)、愛知県巡査教習所武術教師嘱託兼大日本武徳会愛知支部嘱託[2]。1904年(明治37年)12月、大日本武徳会から精錬証を授与される[2]。1918年(大正7年)9月、剣道範士に昇進[2]。
定之には子がなく、弟子の勝浦四郎を養子とした[4]。四郎は北海道小樽市に移り住み、小樽玄武館を開いた[4]。
脚注
[編集]- ^ a b c 歴史群像シリーズ『日本の剣術2』160-161頁、学習研究社
- ^ a b c d e f 村上晋編『大正武道家名鑑』6-7頁、平安考古会
- ^ 警視庁警務部教養課編『警視庁武道九十年史』23頁
- ^ a b 歴史群像シリーズ『日本の剣術2』162頁、学習研究社