南信州地域
南信州地域(みなみしんしゅうちいき)は長野県南信地方の飯田市を中心とした地域のことを指す名称。2017年4月に長野県庁の支庁改組に合わせて、下伊那地方から改称された[1]。下伊那地域、飯田地域、飯田地方、飯伊地域と呼ばれることもある。
概要
[編集]発足当時の下伊那郡の範囲と南信州広域連合の範囲に一致し、長野県を10地域に分けるときに用いられる。人口は 155,346人 (2020年現在)[2]。
文化的・経済的には愛知県名古屋市方面など東海地方との繋がりが深く[3][4]、道州制で東海地方に組み込まれる案が出された[4]。
また長野県の方言は一般的に東日本方言に分類されるが、飯田弁など飯田下伊那地域の方言は西日本方言、特に愛知県東部(東三河)の方言や静岡県西部(遠州)の方言との共通点が多く見られる(三遠南信)[5]。上伊那地域南部の方言は下伊那地域の方言と近く、詳しくは上伊那地域の方言を参照されたい。
地場産業には水引など、現代の産業には電機機器や精密機器などがあり、農業では梨、柿、茶、和牛などの特産物がある[6]。
地元紙である『南信州新聞』によれば、飯伊地域はプロ野球に関しては中日ドラゴンズ戦への関心が高い地域であり[7]、2024年から遡って約50年前から同地域の中日ファンで構成される「中日ドラゴンズ飯田後援会」が活動している[8]。同会は発足から約四半世紀が経過した2004年時点で飯田下伊那地方だけでなく、長野県全体に約600人の会員(年齢は20歳代から80歳代まで、また職種は学生から国会議員までおよぶ)がいた[9][10]。また1990年7月には「ドラゴンズ愛好会」(本部:名古屋市)の飯田支部も発足している[11]。一方、飯田市内では1998年および2004年時点で「横浜ベイスターズ飯田後援会」も活動していた[12][13][14]。
該当市町村
[編集]以下は長野県の定義である。
南信州地域振興局
[編集]〒395-0034 飯田市追手町2丁目678番地
脚注
[編集]- ^ 平成29年4月から長野県の現地機関が変わります
- ^ “南信州地域の人口”. 2024年1月7日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1994年2月3日朝刊中部政治面7頁「衆院選比例11ブロック導入の波紋 「道州制」の前ぶれか 中部“再編”へ賛否の渦」(中日新聞社 中部政治部・溝口泰正、竹村純市郎、中部各県政担当)
- ^ a b 『中日新聞』2008年9月26日朝刊長野総合面19頁「飯田下伊那PRへ 名古屋に来月開店 南信州広域連など」(中日新聞社 海老名徳馬)
- ^ 『中日新聞』2020年8月21日朝刊南信版16頁「なんしん 記者の自由研究 「だら」「だに」「だもんで」 飯田弁 どんな方言? 西日本的、三河と共通点」(中日新聞社)
- ^ 南信州地域の情報 長野県
- ^ 『南信州新聞』2004年5月1日付(第17712号)1頁「お知らせ」(南信州新聞社)
- ^ 『中日新聞』2024年4月17日朝刊アルプス版14頁「飯田後援会応援も中日が阪神に惜敗 バンテリンドーム」(中日新聞社 池山航一郎)
- ^ 『南信州新聞』2004年2月8日(第17645号)8頁「日曜・祝日スポット ぐるうぷ 選手に届け熱い思い 「落合竜の優勝信じてる」 中日ドラゴンズ飯田後援会」(南信州新聞社)
- ^ 『南信州新聞』2004年9月26日(第17832号)8頁「日曜・祝日スポット ぐるうぷ 待ちにまった「その日」目前 オレ流監督の胴上げだ! 「ドラゴンズ飯田後援会」」(南信州新聞社)
- ^ 『中日新聞』1990年8月13日朝刊長野中日「【長野県】見せたプロの打撃戦 ウエスタン中日―近鉄戦 飯田のファン声援」(中日新聞社)
- ^ 『南信州新聞』1998年10月29日付(第16121号)5頁「祝勝ベイスターズ 後援会31日に」(南信州新聞社)
- ^ 『信州日報』1998年10月29日付(第13695号)5頁「ベイスターズ日本一祝勝会 31日に飯田後援会」(信州日報社)
- ^ 『信州日報』2004年8月19日付(第15376号)6頁「ベイスターズ飯田後援会 20日に例会」(信州日報社)