泰阜村
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やすおかむら 泰阜村 | |||||
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泰阜発電所と泰阜ダム | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方(甲信越地方) | ||||
都道府県 | 長野県 | ||||
郡 | 下伊那郡 | ||||
市町村コード | 20414-5 | ||||
法人番号 | 6000020204145 | ||||
面積 |
64.59km2 | ||||
総人口 |
1,386人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 21.5人/km2 | ||||
隣接自治体 | 飯田市、下伊那郡阿南町、下條村、天龍村 | ||||
村の木 | ヒメコマツ | ||||
村の花 | カタクリ | ||||
村の鳥 | ヤマドリ | ||||
泰阜村役場 | |||||
村長 | 横前明 | ||||
所在地 |
〒399-1895 長野県下伊那郡泰阜村3236番地1 北緯35度22分39秒 東経137度50分45秒 / 北緯35.37739度 東経137.84594度座標: 北緯35度22分39秒 東経137度50分45秒 / 北緯35.37739度 東経137.84594度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 村制施行日:1889年4月1日 | ||||
ウィキプロジェクト |
泰阜村(やすおかむら)は、長野県下伊那郡の南部に位置する村である。
地理
[編集]隣接している自治体
[編集]歴史
[編集]- 室町時代には知久氏の領地だった。
- 1555年に武田信玄が知久氏を滅ぼし、前澤若狭守の領地となった。
- 1869年(明治2年)2月 - 伊那県に編入する。[1]
- 1871年(明治4年)6月 - 戸籍法が公布され、伊那県戸籍区の第十一区(金野村、平島田村、唐笠村、門島村、黒見村、万場村、平野村、明島村、田ノ口村及び柿野村)、第十三区(左京村、鍬不取村、打澤村、高町村、稲伏戸村、怒田村及び南山村)が設置された。戸籍区の発足によって従来の名主、庄屋及び年寄制は廃止され、戸長・副戸長制となる。
- 1872年(明治5年)4月 - 筑摩県第一六五区(左京村外七ヵ村)及び第一六六区(平島田村外九ヵ村)を設置する。
- 1873年(明治6年)3月 - 筑摩県第一六五区、第一六六区、第一六七区、第一六八区、第一七〇区、第一七一区及び第一七二区が第二十二大区に編入する。第一六五区を第一小区に、第一六六区を第二小区となる。
- 1875年(明治8年)1月23日 - 伊那郡南山村、唐笠村、金野村、怒田村、左京村、平島田村、鍬不取村、平野村、田野口村、柿野村、明島村、門島村、打沢村、黒見村、高町村、稲伏戸村及び万場村が合併して、泰阜村が発足する。
- 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
- 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、下伊那郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、泰阜村の区域をもって、泰阜村が発足する。
- 1939年(昭和14年) - 満蒙開拓移民の分村が現地に発足する。
歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 選任年月日 | 退任年月日 |
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1 | 萬場芳衛
金野年穂 斯波甚三郎 吉沢藤蔵 |
1875年1月 | 1875年10月 |
2 | 金野年穂 | 1875年10月4日 | |
これより公選となる | |||
3 | 吉沢藤蔵 | 1879年7月1日 | 1879年12月 |
4 | 萬場芳衛 | 1880年1月 | 1883年3月 |
5 | 吉沢藤蔵 | 1883年3月 | 1883年12月 |
6 | 島岡米太郎 | 1884年1月 | 1885年3月 |
これより官選となる | |||
7 | 山口機三 | 1885年3月 | 1886年3月 |
8 | 大河内弥三郎 | 1886年3月 | 1887年1月 |
9 | 飯富安忠 | 1887年1月 | 1888年2月 |
10 | 田中正巳 | 1888年2月 | 1888年3月 |
11 | 熊谷正雄 | 1888年3月 | 1889年5月 |
行政
[編集]
人口
[編集]泰阜村と全国の年齢別人口分布(2005年) | 泰阜村の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 泰阜村
■緑色 ― 日本全国 |
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
泰阜村(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
交通
[編集]鉄道
[編集]村役場は門島駅が最寄りであるが、距離がある。特急「伊那路」は村の南部にある温田駅に停車する。
路線バス
[編集]- 南部公共バス - 南信州広域連合・南信州地域交通問題協議会が主体となり大新東に委託。平日のみ運行(土日祝日運休)。温田駅と飯田市を阿南町・下條村経由で結ぶ阿南線、温田駅と売木村を阿南町経由で結ぶ温田線の2路線がある。いずれも泰阜村内では温田駅とその周辺部しか経由しない。
- 福祉バス - 平日のみ運行。曜日により時刻・運行経路が異なる。
泰阜村内を運行する泰阜線が2018年3月限りで廃止されたため、村役場とその周辺の地域へは公共交通を利用してアクセスすることができない。
道路
[編集]- 村域を通過する国道はなく、通過する主要地方道と村道のみが存在する。
- 村内に信号機は1台も設置されていない。
- 県道
学校
[編集]- 全て村立。
- 泰阜小学校
- 泰阜中学校
- 2010年度までは南北に小学校が1つずつ存在したが、2011年4月に南北が統合し、泰阜小学校となった。現在は泰阜中学校と同敷地内に小学校が設立されている。
- 村内に高等学校はない。近くの高等学校は長野県阿南高等学校、長野県阿智高等学校など。村内を飯田線が通っているため、飯田市内の高等学校へも他の村に比べて通学しやすい。しかし、駅までの距離が遠い子供も多いため、保護者による送迎や、飯田市への転出をする人も少なくない。
文化
[編集]寺院
[編集]マスメディア
[編集]テレビ局
[編集]- ケーブルテレビ局
その他
[編集]- 2003年(平成15年)9月26日に、当時の長野県知事である田中康夫(元新党日本衆議院議員)が住民登録をしたことで、全国的に知られるようになった(その後、田中康夫は2004年(平成16年)12月2日 に北佐久郡軽井沢町へ住民票を移転している)。
脚注
[編集]- ^ 『泰阜の地に生れ育てられて』85~108頁。
- ^ 『泰阜の地に生れ育てられて』104,106頁。
- ^ 『泰阜の地に生れ育てられて』109頁。
- ^ 泰阜村 松島村長が引退の意向 6期24年に「一区切り」2018年2月1日 南信州新聞
- ^ [ https://www.chunichi.co.jp/article/519083?rct=e_nagano泰阜村長に横前氏再選]2022年8月2日 中日Web
- ^ 泰阜村南山の榑木踊り(八十二文化財団サイト)
- ^ 榑木踊り南信州ナビ
- ^ 『伊那民俗叢書. 第1輯』伊那民俗研究会編、信濃郷土出版社、昭和8-9
参考文献
[編集]- 『泰阜の地に生れ育てられて』 宮下明男著、1995年7月。