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下水内郡

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日本 > 中部地方 > 長野県 > 下水内郡
長野県下水内郡の範囲(緑:栄村 薄緑:後に他郡から編入した区域)

下水内郡(しもみのちぐん)は、日本長野県北信地方北信地域に属する[1]

人口1,473人、面積271.66km²、人口密度5.42人/km²。(2024年10月1日、推計人口

現在は以下の1村を含む。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。

なお、栄村のうち大半(千曲川以南の旧・堺村)は、本来高井郡下高井郡)に属していた。そのため、現在も残る下水内郡のうち、古くから水内郡であった地(千曲川以北の旧・水内村)はわずかしか含まれていない。

歴史

郡発足までの沿革

知行 村数 村名
幕府領 幕府領(中野代官所) 12村 桑名川村、西大滝村、白鳥村、平滝村、青倉村、森村、小沼村、三ツ屋新田村、水沢村、○柳新田村、○大倉崎村、○上野新田村
藩領 信濃飯山藩 1町
37村
顔戸村、下柳沢村、五束村、堀之内村、北条村、五荷村、瀬木村、蕨野村、温井村、下境村、上境村、曽根村、下今井村、大坪村、戸狩村、小泉村、尾崎村、法寺村、永江村、穴田村、○蓮村、笠倉村、替佐村、上今井村、○中条村、○小境村、○静間村、飯山町、奈良沢村、上倉村、南条村、四屋村、藤木村、大川村、山口村、笹川村、富倉村、中曽根村
  • 慶応4年2月17日1868年3月10日) - 幕府領が名古屋藩の管轄となる。
  • 明治2年2月30日1869年4月11日) - 幕府領が伊那県の管轄となる。
  • 明治3年9月17日1870年10月11日) - 伊那県の管轄区域が中野県の管轄となる。
  • 明治4年
  • 明治5年(1872年)9月 - 南条村・四屋村・藤木村・大川村・山口村・笹川村が合併して旭村となる。(1町42村)
  • 明治7年(1874年) - 尾崎村の一部(飛地)が小泉村に合併。
  • 明治8年(1875年) - 笠倉村・替佐村が合併して豊津村となる。(1町41村)
  • 明治9年(1876年
    • 5月(1町31村)
      • 30日
        • 顔戸村・尾崎村が合併して寿村となる。
        • 法寺村・中条村・中曽根村が合併して緑村となる。
        • 曽根村・下今井村・大坪村が合併して常郷村となる。
      • 小沼村・三ツ屋新田村・水沢村・柳新田村・大倉崎村・上野新田村が合併して常盤村となる。
    • 7月(1町18村)
      • 桑名川村・西大滝村が合併して照岡村となる。
      • 白鳥村・平滝村が合併して豊栄村となる。
      • 青倉村・森村が合併して北信村となる。
      • 下柳沢村・五束村・堀之内村・北条村・五荷村・瀬木村・蕨野村・小境村が合併して豊田村となる。
      • 温井村・下境村・上境村が合併して一山村となる。
      • 戸狩村・小泉村が合併して照里村となる。

郡発足以降の沿革

  • 明治12年(1879年1月4日 - 郡区町村編制法の長野県での施行により、水内郡のうち1町18村の区域に行政区画としての下水内郡が発足。郡役所を飯山町に設置。
  • 明治15年(1882年6月3日 - 緑村の一部が分立して中曽根村となる。(1町19村)
1.飯山町 2.豊井村 3.永田村 4.秋津村 5.常盤村 6.柳原村 7.外様村 8.太田村 9.岡山村 10.水内村(紫:中野市 桃:飯山市 緑:栄村)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・飯山市。(1町9村)
    • 飯山町(大池組・小佐原組を除き単独町制)
    • 豊井村 ← 上今井村、豊津村(現・中野市)
    • 永田村 ← 永江村、穴田村(現・中野市)
    • 秋津村 ← 蓮村、静間村
    • 常盤村 ← 常盤村、照里村、飯山町[大池組]
    • 柳原村 ← 旭村、富倉村、飯山町[小佐原組]
    • 外様村 ← 緑村、中曽根村、寿村
    • 太田村 ← 常郷村、豊田村
    • 岡山村 ← 照岡村、一山村
    • 水内村 ← 豊栄村、北信村(現・栄村)
  • 明治24年(1891年)4月1日 - 郡制を施行。
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和29年(1954年8月1日 - 飯山町・秋津村・柳原村・外様村・常盤村が下高井郡木島村瑞穂村と合併して飯山市が発足し、郡より離脱。(5村)
  • 昭和31年(1956年9月30日(2村)
    • 豊井村・永田村が合併して豊田村が発足。
    • 太田村・岡山村が飯山市に編入。
    • 水内村が下高井郡堺村と合併して栄村が発足。
  • 平成17年(2005年)4月1日 - 豊田村が中野市と合併し、改めて中野市が発足、郡より離脱。(1村)

変遷表

自治体の変遷
明治22年以前 明治22年4月1日 明治22年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和29年 昭和30年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在
  飯山町 飯山町 昭和29年8月1日
飯山市の一部
飯山市 飯山市 飯山市
秋津村 秋津村
柳原村 柳原村
外様村 外様村
常盤村 常盤村
木島村 木島村
太田村 太田村 太田村 昭和31年9月30日
飯山市に編入
岡山村 岡山村 岡山村
豊井村 豊井村 豊井村 昭和31年9月30日
豊田村
平成17年4月1日
中野市の一部
中野市
永田村 永田村 永田村
水内村 水内村 水内村 昭和31年9月30日
栄村
栄村 栄村
下高井郡
堺村
堺村 堺村

行政

歴代郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 足立誠 明治12年(1879年)1月4日
2 丸山英一郎 明治15年(1882年)8月
3 船越重舒 明治16年(1883年)11月
4 丸山英一郎 明治19年(1886年)8月 2代の再任
5 前田広術 明治23年(1890年)6月
6 吉松集躬 明治30年(1897年)3月
7 紀浦次郎 明治32年(1899年)2月
8 犬童長豊 明治36年(1903年)4月
9 川上親賢 明治41年(1908年)12月 明治44年(1911年)4月23日 在任中に死去[3]
10 安藤貞久 明治44年(1911年)5月
11 江藤斧太郎 大正元年(1912年)10月
12 藤崎供義 大正2年(1913年)2月
13 渡辺盛太郎 大正3年(1914年)3月
14 佐藤三男 大正3年(1914年)9月
15 田中英 大正5年(1916年)7月
16 高野忠衛 大正7年(1918年)7月
17 藤井勝太郎 大正11年(1922年)3月
18 見戸浩巍 大正12年(1923年)2月
19 竹中三吉 大正12年(1923年)12月 大正15年(1926年)6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

  1. ^ 北信地域の情報”. 長野県庁 (2020年4月1日). 2022年1月1日閲覧。
  2. ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
  3. ^ 大植 1935, 1211頁.

参考文献

  • 大植四郎 編『国民過去帳 明治之巻』尚古房、1935年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262271 
  • 長野県史 近代史料編 第2巻 郡政』
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 20 長野県、角川書店、1990年7月1日。ISBN 4040012003 
  • 旧高旧領取調帳データベース
  • 長野県公式ホームページ 現在の市町村名から合併の経過を調べる
「長野県公式」に記載されているが「旧高旧領」に記載されていない村は枝郷とみなし、本項では割愛した。

関連項目

先代
水内郡
行政区の変遷
1879年 -
次代
(現存)